朝日日本歴史人物事典 「粟田口善法」の解説
粟田口善法
室町後期の侘び茶人。京都粟田口に住んだ。名物道具を所持せず,手取釜ひとつで食事も茶の湯も行ったと伝えられ,侘び茶の創始者村田珠光も「胸ノ奇麗ナル者」と賛美を惜しまなかった。所持する手取釜を豊臣秀吉が召し上げようとしたとき,これを拒んで打ち割ったといわれ,後悔した秀吉は,利休に命じて釜師辻越後に写しを作らせたという。この茄子形の手取釜と秀吉の朱印状が粟田口良恩寺に現存。しかし確実な資料は少なく,侘び茶人の理想像として語り継がれた感が強い。<参考文献>『茶道全集』11巻
(谷端昭夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報