粟田口善法(読み)あわたぐち・ぜんぽう

朝日日本歴史人物事典 「粟田口善法」の解説

粟田口善法

生年生没年不詳
室町後期の侘び茶人。京都粟田口に住んだ。名物道具を所持せず,手取釜ひとつで食事も茶の湯も行ったと伝えられ,侘び茶の創始者村田珠光も「胸ノ奇麗ナル者」と賛美を惜しまなかった。所持する手取釜を豊臣秀吉が召し上げようとしたとき,これを拒んで打ち割ったといわれ,後悔した秀吉は,利休に命じて釜師辻越後に写しを作らせたという。この茄子形の手取釜と秀吉の朱印状が粟田口良恩寺に現存。しかし確実な資料は少なく,侘び茶人の理想像として語り継がれた感が強い。<参考文献>『茶道全集』11巻

(谷端昭夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「粟田口善法」の解説

粟田口善法 あわたぐち-ぜんぽう

?-? 室町-戦国時代の茶人。
村田珠光(1423-1502)の弟子。「山上(やまのうえ)宗二記」によれば,京都粟田口にすみ,質素をとうとび,燗鍋(かんなべ)ひとつで食事をし,茶をたてたという。のち豊臣秀吉が伊勢(いせ)の釜師辻越後(つじ-えちご)に善法所蔵の茄子(なす)形の手取釜の写しをつくらせたという。本姓は田中。通称は兵部大輔。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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