マソリーノ・ダ・パニカーレ
Masolino da Panicale
[生]1383. パニカーレ
[没]1447頃.フィレンツェ
イタリアのフィレンツェ派の画家。マサッチオの師とされる。 1423年,40歳のときに画家として登録されているが,それ以前のことは不明。ただ現存する最初期の作品とされるブレーメンとミュンヘンの2つの『聖母子』などを見ると,国際ゴシック様式から出発していったと思われる。そのゴシック的感覚は,彼の終生の画業を通じて変らず,部分的にはマサッチオその他の新傾向を取入れながらも,依然として甘美な詩的情緒を基底として流動的な曲線の取扱いや物語の叙述的描写に執着し,最後までゴシック様式の帰依者で終った。作品カスティリオーネ・オローナのコレジアータ内陣天井壁画 (1425前後) ,25~27年頃の制作とされるフィレンツェのカルミネ聖堂ブランカッチ礼拝堂壁画 (『アダムとイブの原罪』『説教する聖ペテロ』『タビタの蘇生と跛者の治癒』が彼に帰される) ,ローマのサン・クレメンテ聖堂の『聖カタリーナ伝』壁画 (28~31頃) ,トーディのサン・フォルトゥナート聖堂の『聖母子』 (32) ,最晩年のカスティリオーネ・オローナの洗礼堂壁画などはそのことをよく示している。なお彼は,27年ピッポ・スパーノに招かれてハンガリーにおもむいている。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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マソリーノ・ダ・パニカーレ
Masolino da Panicale
生没年:1383-1447
イタリアの画家。本名トンマゾ・ディ・クリストフォロ・フィニTommaso di Cristoforo Fini。トスカナ地方のパニカーレに生まれ,1423年に40歳という当時としては異常に遅い年齢でフィレンツェの画家組合に登録される。作品には《聖母子》(1423。ブレーメン,クンストハレ),ブランカッチ礼拝堂壁画(フィレンツェ,サンタ・マリア・デル・カルミネ教会。マサッチョとの共作),サンタ・カテリナ礼拝堂壁画(ローマ,サン・クレメンテ教会),カスティリオーネ・オローナの洗礼堂およびコレジアータ教会壁画などがある。彼の描く人物の形態は優雅であり,その色彩は甘美で柔らかく,14世紀末から15世紀初頭にかけて流行した国際ゴシック様式の流れをくんでいる。
執筆者:生田 圓
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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マソリーノ・ダ・パニカーレ
イタリアのフィレンツェ派の画家。本名トンマゾ・ディ・クリストフォロ・フィニTommaso di Cristoforo Fini。マサッチョの師といわれ,ゴシックからルネサンスへの過渡的な国際ゴシック様式最後の画家として重要。作品としては北イタリアのカスティオーネ・オローナのコレジアタ礼拝堂の壁画《聖母伝》(1430年代後半)と洗礼堂の壁画《洗礼者聖ヨハネ伝》(1435年)などのほか,フィレンツェのサンタマリア・デル・カルミネ教会の壁画があるが,後者にはマサッチョの描いた部分もある。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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