ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベネディクツス14世」の意味・わかりやすい解説
ベネディクツス14世
ベネディクツスじゅうよんせい
Benedictus XIV
[没]1433頃
対立教皇であるクレメンス8世(在位 1423~29)の対立教皇(在位 1425~30頃)。本名 Bernard Garnier。カトリック教会の大分裂の長期化を望むアラゴン王アルフォンソ5世(在位 1416~58)が,1423年に対立教皇ベネディクツス13世(在位 1394~1417)の枢機卿団(→カーディナル)に,後継者としてクレメンス8世を選出させた。一方で,この教皇選挙に招かれなかったベネディクツス13世の枢機卿の一人,ジャン・カリエが,独自にバレンシアのペニスコラ城で教皇選挙を行ない,1425年11月にベネディクツス14世を選出した。ツールーズ近郊のロデス教会で聖具管理をしていたことがある人物で,業績として目立つものはなく,居宅も知られず,支持者もほとんどいなかった。カリエは 1433年に捕えられ,ガスコニーのフォア城に幽閉されたが,ベネディクツス14世もほぼ同時期に死去したとみられる。
ベネディクツス14世
ベネディクツスじゅうよんせい
Benedictus XIV
[没]1758.5.3.
イタリア人の教皇 (在位 1740~58) 。教皇庁に仕えた卓越した教会法学者。本名 Prospero Lambertini。 1725年テオドシア,27年アンコナ司教,28年枢機卿,31年ボローニャ大司教。教皇領内では租税の軽減,高利貸の抑制に努め,農業と自由取引を推進して専制君主と対照的な行政を行い,学問と芸術を奨励した。世俗勢力には協調の態度を示したが,アコモダチオ (布教法を現地の事情に適応させること) についての論争ではイエズス会の考えを退け,宗教上の多くの規定を設けた。
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