紋別港(読み)もんべつこう

日本歴史地名大系 「紋別港」の解説

紋別港
もんべつこう

紋別市北部、市街地の東側にある港湾弁天べんてん岬とよばれる岩礁が五〇〇メートルほどオホーツク海に突き出して北からの海流を防ぎ、岬の南東側に緩やかな湾形を形成する。一六八〇年代松前藩によりソウヤ場所が設置されると、沿岸部の主要漁場の一つとして開設されたとみられる。弘化三年(一八四六)七月当地を通った松浦武四郎は「浜形東向、則西シヤロ、東ワツカの出岬ニ而少しの湾をなし、波浪甚静にして巾口十余間、船懸りよろし」と述べている(「蝦夷日誌」二編)。「北見州経験誌」には明治四年(一八七一)頃の港付近の様子は「弁天社前磯ヨリ東ニ突出、拾二三丁沖迄海底一円ノ暗礁ナリ、土地不案内ノ者可謹可恐トコロナリ」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の紋別港の言及

【紋別[市]】より

…北見山地の北東斜面に位置し,海岸沿いの狭長な平野部にコムケ湖,シブノツナイ湖などの潟湖がある。市街地は弁天岬の南にある重要港湾紋別港を中心に展開する。1685年(貞享2)ころに松前藩宗谷場所の一部として漁場が開かれ,1808年(文化5)近江商人柏屋善兵衛が紋別場所の請負人となり,以後和人の定住者も増え,紋別郡一帯の中心地として発展した。…

※「紋別港」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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