美郷村(読み)みさとそん

日本歴史地名大系 「美郷村」の解説

美郷村
みさとそん

面積:五〇・四七平方キロ

郡の南部に位置し北は山川やまかわ町・川島かわしま町、北東は鴨島かもじま町、南東名西みようざい神山かみやま町、南西は美馬みま木屋平こやだいら村、西は一部で同郡穴吹あなぶき町に接する。四面を四国山地の山々に囲まれる山間の地である。北流する川田かわた川に西流する東山谷ひがしやまだに川が字川俣かわまたで合流、その後、川田川は西流して山川町域に入り、やがて北流に転じて吉野川に注いでいる。集落・耕地はこの両河川流域と山腹に点在し、村のほぼ中央部を国道一九三号が縦断している。弥生時代以前の遺跡・遺物は発見されていない。ひがし山の恵美子えびすにあった七人しちにん(現存せず)から出土した土師器が村域最古の遺物で、同じく東山の湯下ゆげの「塚はん」とよばれる塚からは銅鏡が出土したといわれているが、この銅鏡は現存しない(美郷村史)。なおこれらの「塚」が古墳であった可能性は十分考えられる。「延喜式」神名帳にみえる麻殖おえ郡の「天水沼間比古神天水塞比売神社二座」を別枝べつし山字たいらの八幡神社の境内末社美奴間みぬま神社に比定する説がある。美奴間神社横の経塚からは平安時代のものと推定される経筒が発見されている。中世、当地および山川町の南部から木屋平村一帯の山間部は種野たねの(あるいは麻殖山)とよばれ、国衙領であったと考えられている。この種野山は一〇を超える名で構成され、これらの名主三ッ木みつぎ(現木屋平村)の三木氏や別枝山かげ名の河村氏のようにしだいに在地の武士として成長していった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報