日本歴史地名大系 「種野山」の解説
種野山
たねのやま
- 徳島県:麻植郡
- 種野山
前掲嘉暦二年の注進状案によると山内には
種野山の正確な成立時期は不明であるが、種野山と同様の「山」を単位とする所領が平安末期にはみえることから、当地の場合もこの頃までには成立していたと推定することができる。この「山」所領は律令制度の下では租税の賦課対象外となっていた山間地帯一帯から材木等の林産資源を徴収するために、新たに阿波国衙が設定した所領であったと推定され、阿波の場合、四国山地一帯の広大な山間地帯に成立していた。当地の領有関係にかかわって注目されるのは、鎌倉期に地頭職が京都冷泉家に伝領されていたことである(元徳元年一〇月一五日「関東下知状」冷泉家文書)。
種野山
たねのやま
現美郷村域の北西部(一部は山川町の東部にかかる)、
天正一三年(一五八五)蜂須賀氏が阿波に入部した際、麻植山は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報