羽津城跡(読み)はづじようあと

日本歴史地名大系 「羽津城跡」の解説

羽津城跡
はづじようあと

[現在地名]四日市市大宮町

海蔵かいぞう川北岸台地上にある。城の西部分には土堀・空堀の一部が残る。桑名御領分古城跡之図写(員弁郡東員町岩田氏蔵)によれば、中央に土塁に囲まれた主郭があり、西と東にも郭がある。西方丘陵に続く。「三国地志」「五鈴遺響」は赤堀氏一族の居城とする。赤堀氏一族は赤堀あかほり城のほか、浜田はまだ城の浜田氏、羽津城の羽津氏に分れる。文明一四年(一四八二)の「内宮引付」では「赤堀浜田」「赤堀羽津」と出、いずれも守護一色氏の被官であった。

同年頃羽津氏は、領内羽津浦に新警固を設けたがその停止を求める神宮との間で争いとなった。新警固は、同五年頃より伊勢湾の各地に設けられた海上関で、警固役と称する関銭を徴収した。設置者は、守護・北畠氏・長野氏をはじめ、その被官の在地領主層。同年には七ヵ所あったことが確認できる(文明五年六月日「外宮庁宣写」文明年中宮司引付)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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