日本歴史地名大系 「羽津村」の解説 羽津村はづむら 三重県:四日市市北部地区羽津村[現在地名]四日市市羽津町・羽津山(はづやま)町・白須賀(しらすか)一丁目・城山(しろやま)町・大宮(おおみや)町・大宮西(おおみやにし)町・金場(かねば)町・富士(ふじ)町・羽津甲(はづこう)・羽津八幡(やわた)村の南、東海道に沿って民家が並ぶ。西方は低い丘陵。集落の西に志(しで)神社があり、境内には古墳時代前期に属する志神社古墳がある。「万葉集」巻六に載る丹比屋主真人の「後れにし人を偲はく四泥の崎木綿取り垂でてさきくとぞ思ふ」の四泥(しで)の崎はこの地とされる。羽津の地名は文明一四年(一四八二)五月二〇日の外宮一禰宜度会朝敦書状写(内宮引付)に羽津浦とあるのが早い例である。この時期赤堀氏の一族羽津氏がこの地に城を構えている。天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写には「三十五石五斗長かん三十三石、守平弐石五斗 者津」と出る。また天正一二年頃の織田信雄分限帳では、大原豊蔵が羽津郷で一千貫文を知行している。「三国地志」は羽津・吉沢(よしざわ)・別名(べつめい)・鵤(いかるが)・北鵤・八幡・白須賀を「羽津七郷ト云」と伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by