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遠江国(静岡県)の最も西に位置する東海道の宿駅。1601年(慶長6)汐見坂下に宿駅として指定されたが,1707年(宝永4)の大地震による津波の被害により,坂上の現在地へ移転し,西隣の境宿新田を加宿とした。境宿新田の西端には川幅2間ほどの境川が流れ,遠江・三河の国境となっている。汐見坂は眼下に太平洋が広がり,東海道では富士山の見える西方の限界に位置する景勝地で,中世から多くの文人・画家にその材料を提供している。白須賀宿は1843年(天保14)の調査によれば,人口が加宿と合わせると2704人で,宿の中心部に本陣・脇本陣が1軒ずつ,旅籠屋が27軒あった。東海道の隣宿の新居宿までは1里24町,二川宿へは1里17町の距離があり,また渥美半島の村々へ通ずる脇往還の起点となっていた。宿内の茶店で売り出した猿ヶ番場の柏餅は,街道筋の名物として旅人に好まれた。現在でも比較的宿場時代の町並みを残している。1955年湖西町となり,72年市制施行。
執筆者:渡辺 和敏
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静岡県湖西市(こさいし)の南西端の地区。旧白須賀町。遠州灘(えんしゅうなだ)に面し、海岸沿いに国道1号が通じ、国道42号が分岐、伊良湖(いらご)岬へ通じる。江戸時代には東海道五十三次の宿駅として繁栄した。白須賀宿は潮見坂下の海岸沿いにあったが、1707年(宝永4)の地震による津波で壊滅したため、現在の坂上に移された。東海道本線が遠く北を開通したため衰微したが、現在は自動車工場も進出。野菜、タバコ栽培、沿岸漁業を行う。
[川崎文昭]
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