肴倉弥八(読み)サカナクラ ヤハチ

20世紀日本人名事典 「肴倉弥八」の解説

肴倉 弥八
サカナクラ ヤハチ

昭和期の郷土史家



生年
明治37(1904)年5月27日

没年
昭和61(1986)年2月17日

出生地
青森県青森市

学歴〔年〕
青森商〔大正11年〕卒

経歴
青森銀行に勤務。その後、同行の古川出張所主任を最後に退職し、郷里青森市でリンゴ酒の製造や冷蔵倉庫業に従事した。その傍ら、青森県の歴史を調査・研究し、自らの足で熱心に史料探索。昭和7年には同志と共に青森史談会(のち青森郷土会)を結成し、その機関誌「うとう」を中心に論考を発表した。太平洋戦争後は研究に専念し、27年には「青森市史」編纂委員に選ばれた。また、青森県文化財保護協会の設立に尽力し、同会の常任理事や事務局長を歴任。郷土史研究や資料の紹介を通じて愛郷心の高揚を図ろうとし、青森の伝統工芸・ねぶたの振興にも力を注いだ。編著に「青森市町内盛衰記」「青森銀行沿革史」「工藤卓爾伝」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「肴倉弥八」の解説

肴倉弥八 さかなくら-やはち

1904-1986 昭和時代の郷土史家。
明治37年5月27日生まれ。昭和7年青森史談会(のちの青森郷土会)を組織し,郷土誌「うとう」を刊行。市町村史の編修,郷土資料収集・紹介につとめた。昭和61年2月17日死去。81歳。青森県出身。青森商業卒。著作に「青森市町内盛衰記」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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