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輪王寺 りんのうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

輪王寺
りんのうじ

栃木県日光市山内にある天台宗の寺。山号日光山神護景雲1 (767) 年勝道上人の創建。初め四本竜寺と号し,のち空海円仁らが入山した。空海は二荒 (ふたら。男体山の別称) を音読して日光と改めた。円仁は天台宗に改宗させ,満願寺の号のもとに大いに栄えて,延暦寺に次ぐ盛況であったが,豊臣秀吉に寺領を奪われて衰えた。天海僧正が別当となり江戸幕府の保護を得て再興し,元和2 (1616) 年徳川家康の遺体を当地に葬って,霊廟東照宮を造営してから再び繁栄した。守澄法親王を仰いで輪王寺宮の名を賜わり門跡を称し,上野の寛永寺を兼摂した。明治の神仏分離で東照宮,二荒山神社と輪王寺に分離された。三仏堂,常行堂,慈眼堂などの諸堂があり,徳川家光を葬った大猷院霊廟は国宝。 1999年東照宮,二荒山神社とともに世界遺産の文化遺産に登録。

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デジタル大辞泉の解説

りんのう‐じ〔リンワウ‐〕【輪王寺】

栃木県日光市にある天台宗の門跡寺院。山号は、日光山。天平神護2年(766)勝道が開創。四本竜寺(のちの満願寺)と称した。慶長18年(1613)天海入寺徳川家康の墓所として東照宮を造営。のち、後水尾天皇の皇子守澄法親王が初代門跡となり輪王寺と改称。明治4年(1871)神仏分離令により東照宮と分かれた。大猷院霊廟の本殿・相の間・拝殿は国宝。平成11年(1999)「日光の社寺」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。日光門跡

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百科事典マイペディアの解説

輪王寺【りんのうじ】

栃木県日光市山内にある天台宗の寺院。奈良時代勝道上人の開基と伝える。慶長年間(1596年―1615年)に天海が中興,徳川家康の没後東照宮が建てられ,さらに家光の廟である大猷院が建てられて寺勢があがった。
→関連項目日光[市]日光東照宮

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デジタル大辞泉プラスの解説

輪王寺(りんのうじ)

宮城県仙台市にある寺院。1441年創建。曹洞宗本尊釈迦如来

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世界大百科事典 第2版の解説

りんのうじ【輪王寺】

栃木県日光市にある天台宗の寺。山号は日光山。日光門跡,御本坊とも称した。日光山の山岳信仰の歴史は古く,寺も天平のころ勝道が開創した四本竜寺に始まると伝える。寺名はその後四本竜寺から満願寺に変わり,院号も一乗実相院,光明院へと変わった。1613年(慶長18)天海が中興した。17年(元和3)東照大権現の号を贈られた徳川家康の廟が建てられ,36年(寛永13)には大造営が行われた(日光東照宮)。これより先,1621年に本坊が造営され,東照宮の別当寺としての役割を果たすこととなった。

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大辞林 第三版の解説

りんのうじ【輪王寺】

栃木県日光市にある天台宗の寺。山号、日光山。766年勝道が開創した四本竜寺に始まるという。一時衰微したが、慶長年間(1596~1615)天海が再興。1616年徳川家康の遺骨を移葬し、霊廟れいびよう東照宮を造営、55年輪王寺と号す。明治の神仏分離令により東照宮とは分かれた。
東京都台東区上野公園にある天台宗の寺。もと東叡山寛永寺の本坊。門跡寺院。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

輪王寺
りんのうじ

栃木県日光市山内にある天台宗の門跡(もんぜき)寺院。766年(天平神護2)勝道上人(しょうどうしょうにん)により開創された四本竜寺(しほんりゅうじ)に始まる。810年(弘仁1)に満願寺の号を受け、820年には空海、848年(嘉祥1)には円仁(えんにん)がきて諸堂が建立され、山内は大いに栄えたと伝えられる。のちやや衰退したが、源頼朝(よりとも)の寺領の寄進や北条時頼(ときより)の帰信など鎌倉幕府の庇護(ひご)を受け、1308年(延慶1)には仁澄(にんちょう)親王が当山第27世となり、皇室との関係も密接となった。最盛時には僧坊300余といわれたが、足利尊氏(あしかがたかうじ)の兵乱に巻き込まれ、さらに豊臣(とよとみ)秀吉による寺領没収などで、大坊が9か寺残されるのみとなった。
 慶長(けいちょう)年間(1596~1615)天海(てんかい)が当山に入って以来ふたたび興隆し、徳川家康の帰依(きえ)も厚く寺領2000余石を受けた。家康没後、秀忠(ひでただ)は父家康の霊廟(れいびょう)をつくり、1617年(元和3)久能山(くのうざん)から霊柩(れいきゅう)を迎えて改葬し、東照大権現(だいごんげん)とした。以来徳川幕府と特別な関係を保ち、諸大名の寄進も行われて、家光(いえみつ)の東照宮改築をはじめ諸堂がしだいに完備した。1655年(明暦1)には輪王寺の号を受け、後水尾(ごみずのお)天皇の皇子守澄(しゅちょう)法親王が初代の門跡となり、寛永(かんえい)寺門跡、天台座主(ざす)をも兼ね、明治に至るまで歴代法親王は管領宮(かんりょうのみや)として仏教界に君臨した。1871年(明治4)神仏分離令で、日光東照宮、二荒山(ふたらさん)神社が独立し、寺は満願寺の旧名を称したが、1885年日光山輪王寺門跡号を復活した。以後、三仏堂(国重文)を本堂とする。家光の霊を祀(まつ)る大猷院霊廟(だいゆういんれいびょう)の本殿・相の間・拝殿の3棟が国宝に、同じく大猷院霊廟の唐門・皇嘉門など19棟、また常行(じょうぎょう)堂、慈眼(じげん)堂、特徴ある相輪(そうりんとう)などが国重要文化財に指定されている。1961年(昭和36)焼失した鳴竜(なきりゅう)で有名な薬師堂は68年復興された。寺宝には『大般涅槃経集解(だいはつねはんぎょうしゅうげ)』(国宝)、東照権現像八幅、千手観音(せんじゅかんのん)像(ともに国重文)などや工芸品、古書を多く蔵する。4月2日の強飯(ごうはん)式、5月17日の延年の舞は有名。[塩入良道]
『山本健吉他文、名鏡勝朗写真『古寺巡礼 東国2 輪王寺』(1981・淡交社)』

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世界大百科事典内の輪王寺の言及

【摩多羅神】より

…神像は烏帽子・狩衣装束で鼓をもち唱歌する壮年の姿で,笹を採物にして舞う2童子を従える図像が普通である。比叡山をはじめ,法勝寺,多武峰(とうのみね)妙楽寺,日光輪王寺,出雲鰐淵寺など各地方の中心的天台寺院の常行堂の後戸(うしろど)にまつられた。その祭祀は,たとえば輪王寺の《常行堂故実双紙》によると,修正会と結合した常行三昧のなかで,この神を勧請して延年が行われ,七星をかたどる翁面を出し,古猿楽の姿を伝える種々の芸能が演ぜられた。…

※「輪王寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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