脇坂安宅(読み)わきざか やすおり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「脇坂安宅」の解説

脇坂安宅 わきざか-やすおり

1809-1874 江戸時代後期の大名
文化6年2月15日生まれ。脇坂安董(やすただ)の次男天保(てんぽう)12年播磨(はりま)(兵庫県)竜野(たつの)藩主脇坂家9代となる。奏者番,寺社奉行をへて京都所司代となり,賄料の増額など皇室のためにつくした。安政4年老中にすすみ,外国事務を担当。文久2年家督を安斐(やすあや)にゆずり隠居したが,同年老中に再任された。明治7年1月10日死去。66歳。通称は友吉,織部。号は揖水。淡路守。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「脇坂安宅」の意味・わかりやすい解説

脇坂安宅
わきざかやすなり

[生]?
[没]1874.1.10. 東京
江戸時代後期,第 11代播磨竜野藩主。安董の子。幼名は友吉,織部。天保 12 (1841) 年襲封。奏者番,寺社奉行を歴任し,嘉永4 (51) ~安政4 (57) 年京都所司代となる。次いで老中に進み,外国事務を担当。安藤信正とともに列国側に開市開港延期を提議した。文久2 (62) 年辞任,隠居した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「脇坂安宅」の解説

脇坂安宅 (わきざかやすおり)

生年月日:1809年2月15日
江戸時代末期;明治時代の大名
1874年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の脇坂安宅の言及

【竜野藩】より

…播磨国(兵庫県)揖西郡竜野を城地とした藩。初期は譜代,中期以降外様中藩。中世の竜野赤松氏が1577年(天正5)織田信長配下の羽柴(豊臣)秀吉に戦わずして開城したあと,81年蜂須賀正勝5万3000石が初の近世大名として入封した。その後豊臣時代の城主は85年福島正則5万石,88年木下勝俊6万4000石,94年(文禄3)小出吉政2万石と移った。江戸時代の竜野藩は1617年(元和3)本多政朝5万石の入封に始まる。…

※「脇坂安宅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む