日本大百科全書(ニッポニカ) 「空華日工集」の意味・わかりやすい解説
空華日工集
くうげにっくしゅう
南北朝時代の五山僧義堂周信(ぎどうしゅうしん)の日記。義堂自らは、日々の自省を込めて「日用工夫集(にちようくふうしゅう)」「日工集」と称していたが、これに彼の別号空華道人にちなむ2字が冠せられたものである。全体で48冊あったが、早く散逸し、現在は抄出本『空華日用工夫略集』4冊として伝えられる。記事は義堂誕生の1325年(正中2)から死去の88年(元中5・嘉慶2)に及ぶが、日記らしい体裁を備えているのは67年(正平22・貞治6)3月からであり、それ以前と死去直前の部分は、年譜作成のためになされた追記であろう。崇光(すこう)上皇はじめ将軍足利義満(あしかがよしみつ)、関東管領(かんれい)足利基氏(もとうじ)・氏満(うじみつ)また二条良基(にじょうよしもと)、斯波義将(しばよしまさ)など、広く公武の要人と交わりがあり、禅宗史のみならず、政治・社会・文化に関する貴重な史料で、ことに鎌倉の模様を伝える史料として重要である。また彼の該博な学識を表す内外典の記事は、当時の五山禅僧の教養の最高水準を示している。刊本として辻善之助編『空華日用工夫略集』(1939・太洋社)。
[田中博美]
『玉村竹二著『日本禅宗史論集 下之一』(1979・思文閣出版)』