永徳二年(一三八二)室町幕府三代将軍足利義満の発願により幕府(花の御所)の東側に、
義満は、初め自身の弁道所として小禅寺建立を望んでいたが、春屋妙葩と義堂周信の勧めにより理想的な禅院建立を決意、永徳二年九月には官寺の十刹に列位し、僧衆五〇人とするなど具体的内容を提示した(「空華日用工夫略集」同年九月二九日条)。寺号は左大臣の唐名である相国にちなんで承天相国寺とされ、同年一〇月には室町幕府の東側を寺地として工事に着工した。工事はかなり強引であったらしく、寺地については近隣の貴族の邸宅・寺院・家屋が強制的に移転させられた(「荒暦」永徳二年一〇月三〇日条)。一条経嗣は「近辺貴賤遷居於他所、如此事、福原遷都之時之外無例云々」(同書同年一一月二日条)と記し、また民衆の間では「ミヤコニハ、ヒノ木スギノ木ツキハテテ、ナゲキテツクル相国寺カナ」と歌われたという(玉塵)。永徳三年一二月には義堂の意見によって寺号を相国承天禅寺と改称(「空華日用工夫略集」同月二日条)、同時に故夢窓疎石を勧請開山とし、春屋を第二世とした(同書同月一三日条)。以降も歴代は夢窓派禅僧が継承した。至徳元年(一三八四)三月には早くも仏殿の立柱があり(同書同月一六日条)、翌二年一一月には本尊毘盧舎那仏、脇侍普賢・文殊両菩薩を安置し、義堂周信を導師として落慶供養が修されている(同書同月二〇日条)。
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京都市上京区にある臨済宗相国寺派の大本山。正称を万年山相国承天(じようてん)禅寺といい,現在,末寺100余ヵ寺を擁する。足利義満が祖父尊氏の天竜寺建立にならって当寺建立を発願,1382年(弘和2・永徳2)仏殿,法堂(はつとう)の工事に着手した。義満は春屋妙葩(しゆんおくみようは)のすすめにより,春屋の師,夢窓疎石を勧請開山(かんじようかいざん)とし,春屋は2世となった。86年(元中3・至徳3)五山第2位に列せられ(五山・十刹・諸山),92年(元中9・明徳3)3世空谷明応(くうこくみようおう)のもとで,盛大な慶讃大法会が営まれたが,その様子は《相国寺供養記》に詳しい。94年(応永1)直歳寮(しつすいりよう)からの出火で多くの堂宇が焼けたが,これ以後も,兵火や類焼をふくめ5度にわたって焼失した。とりわけ応仁の乱によって全山灰燼に帰し,貴重な文化財を失った。当時は室町幕府の東隣に位置し,将軍家の崇敬がとくにあつく,歴代将軍はしばしば本寺や塔頭(たつちゆう)に御成(おなり)した。塔頭として,当初は鹿苑院(ろくおんいん),資寿院,大智院,常徳院,雲頂院の5塔頭があったが,のちしだいに数を増した。その多くは将軍の御影(みえ)堂に指定され,鹿苑院(義満),勝定院(しようじよういん)(義持),慈照院(義政)のごとく,将軍の法名をもって塔頭名とした。義満は春屋を天下僧録に任じ,禅寺と禅僧を統轄させたが,やがて鹿苑院の院主が僧録をつかさどり,さらに院内の蔭涼軒(いんりようけん)の軒主がつかさどるようになった。僧録司は幕府と直結して僧俗二界に隠然たる力をもったから,室町期における相国寺は,実質的には禅院の最高峰に位置していた。
当時はこのような特権的地位を背景に,五山文化の中心として繁栄した。初期には春屋妙葩,義堂周信,絶海中津(ぜつかいちゆうしん)らの文学僧,応仁の乱前後には瑞渓周鳳,横川景三(おうせんけいさん),桃源瑞仙(とうげんずいせん),景徐周麟(けいじよしゆうりん)など当代一級の詩文僧を輩出した(五山文学)。また,如拙,周文,雪舟らの画僧も相国寺に学んだ。1551年(天文20)の天文の兵火後,豊臣秀頼や徳川家康の資助により,法堂,三門を再興したが,1620年(元和6)の炎上後の復興は,後水尾天皇の力によるところが大きい。現存の法堂は,1605年(慶長10)秀頼の発願によって再建したもので,重要文化財に指定されている。その他,無学祖元墨跡(国宝),明兆(みんちよう)筆《普明(ふみよう)国師頂相(ちんそう)》(重要文化財),絶海中津の《十牛頌(じゆ)》(重要文化財)など多数の文化財を蔵し,1984年山内に完成した承天閣美術館に収蔵されている。山内の延寿堂墓地には,足利義政,藤原定家,伊藤若冲らの墓がある。なお,当寺には〈相国寺の梵唄(ぼんばい)〉といわれる元朝風の美しい声明(しようみよう)が伝えられている。
執筆者:藤岡 大拙
中国,河南省開封市内の寺院。〈そうこくじ〉ともいう。北宋時代に最も繁栄した。北斉時代(555)創建の建国寺跡に,唐の僧恵雲(えうん)が1丈8尺の弥勒仏を本尊とした伽藍(がらん)を作り(706),睿宗(えいそう)は自分の封国の相をとって相国寺と名づけた。宋代国都の筆頭寺院として皇帝以下の厚い保護を受け,各仏殿は相藍十絶と呼ばれる壁画や墨跡でうずまった。毎月数回寺内で開かれる定期市には全国の物貨が集まった。金の侵入以後衰退。現在の建物は清代乾隆期(1736-95)のものである。
執筆者:梅原 郁
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京都市上京(かみぎょう)区今出川通烏丸(からすま)東入ルにある臨済(りんざい)宗相国寺派の大本山。詳しくは相国承天禅寺という。山号は万年山。本尊釈迦如来(しゃかにょらい)。足利(あしかが)3代将軍義満(よしみつ)が後小松(ごこまつ)天皇の勅命を奉じて創建した寺で、1383年(弘和3・永徳3)10月に起工し、1385年(元中2・至徳2)11月に仏殿の完成をみた。開山には鹿苑(ろくおん)院の春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を請じたが、妙葩はその師夢窓疎石(むそうそせき)を第1世とし、自らは第2世となった。1386年五山の位次が定められた際に第二位に置かれ、のち多数の学僧が輩出し、五山文学の中心となった。1390年(元中7・明徳1)法堂(はっとう)が完成すると、その偉観により当時天下第一の伽藍(がらん)と称された。以後代々の足利氏の尊信を受け隆盛を極めたが、しばしば火災にあい堂塔を焼失し、縮小衰退を余儀なくされた。1605年(慶長10)豊臣秀頼(とよとみひでより)により、応仁(おうにん)の乱で灰燼(かいじん)に帰した法堂(無畏堂(むいどう))が再興された。これは唐様(からよう)建築の左右に玄関廊のある珍しい形式のもので、1788年(天明8)の大火のときにもさいわいに焼失せず、現在、国重要文化財に指定されている。開山塔、方丈は1807年(文化4)に再建されたもので、開山塔内には夢窓国師像を安置、前庭には禅院式枯山水庭園がある。寺域は幽邃(ゆうすい)の美趣をたたえ、大光明(だいこうみょう)寺、光源(こうげん)院などの塔頭(たっちゅう)が連なる洛北(らくほく)の名刹(めいさつ)である。寺宝に『無学祖元墨蹟(ぼくせき)』4幅(国宝)、『十六羅漢(らかん)像』『鳴鶴(めいかく)図』(ともに国重要文化財)など多数の名品が伝えられている。
[平井俊榮]
『小畠文鼎著『相国寺中興資料』(1944・相国寺)』▽『小畠文鼎著『万年山連芳録』(1932・相国寺)』
京都市上京区にある臨済宗相国寺派大本山。正式には万年山相国承天寺。1382年(永徳2・弘和2)将軍足利義満が,春屋妙葩(しゅんおくみょうは)を開山として,室町幕府の東側に創建を開始した。春屋は開山の名誉を師の故夢窓疎石(むそうそせき)に譲り,2世となった。塔頭(たっちゅう)には鹿苑(ろくおん)院・蔭涼(いんりょう)軒などがある。禅宗寺院を統轄し人事をつかさどった僧録は鹿苑院の住持が兼任し,鹿苑僧録とよばれた。当院の歴代住持の日記「鹿苑日録」は有名。蔭涼軒は足利義教のときに鹿苑院内に設けられる。軒主の公用日記「蔭涼軒日録」も重要。重文の本堂(法堂),国宝の「無学祖元墨蹟」,重文の「十六羅漢像」「鳴鶴図」「山水図」などがある。
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…京都市上京区にある臨済宗相国寺派の大本山。正称を万年山相国承天(じようてん)禅寺といい,現在,末寺100余ヵ寺を擁する。…
…京都五山の一つである相国寺(しようこくじ)山内の塔頭(たつちゆう)鹿苑(ろくおん)院の南坊にあった寮舎。創建年は明らかでないが,将軍足利義満が鹿苑院内に設けた寮舎に,将軍義持が蔭涼軒なる名を付したものと思われる。…
…鎌倉五山に対し,京都にある臨済宗の大禅刹,すなわち南禅寺・天竜寺・相国(しようこく)寺・建仁寺・東福寺・万寿寺をいう。中国南宋代の五山官寺制度が,日本に移植されたのは鎌倉時代末期のことで,はじめは建長寺・円覚寺など鎌倉の大禅刹をもって五山としていた。…
…その実際は孟元老の《東京夢華録(とうけいむかろく)》に鮮やかに描写されている。城内には玉清昭応宮や相国寺をはじめとした巨大な仏寺・道観が50余りも建てられ,とくに相国寺で毎月5回催される定期市には全国からあらゆる品物が集まった。宋の開封の宮城は唐の長安にくらべてはるかに小さく,主要官庁もその多くが城内外の適当な場所に散在するなど,それまでの国都がもつ政治都市の面目を一新している。…
…定期市は都市のものと郷村(市鎮)のものとに大別される。都市の定期市には年市,旬市,日市の区別があり,宋都開封の相国寺の市は有名である。相国寺では3と8の日に市がたち(旬市),冠帽,首飾,弓剣,書画から飲食品,珍禽奇獣の類まで,各種の商品が売られたが,門や廊下にまで商品があふれ,多数の買物客で雑踏したといわれている。…
※「相国寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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