自光坊屋敷跡(読み)じこうぼうやしきあと

日本歴史地名大系 「自光坊屋敷跡」の解説

自光坊屋敷跡
じこうぼうやしきあと

[現在地名]盛岡市中ノ橋通一丁目

神明社の西隣にあった、同社の別当を勤めた自光坊の屋敷跡。自光坊は盛岡藩領内修験総録で、寺領二〇〇石。京都聖護しようご院門跡の支配。紫波しわ郡および陸奥田名部たなぶ鹿角かづのの年行事をも勤め、本姓は一方井氏、岩鷲山と号する(盛岡砂子)。寺社修験本末支配之記(内史略)は自光坊末流の修験として城下六・紫波郡二三・田名部二四・鹿角三二を記す。「盛岡砂子」によれば、初代盛岡藩主信直の母は一方井刑部の娘で、石川高信の側室とされる。天正一五年(一五八七)一方井いつかたい(現岩手郡岩手町)において信直が誕生した際、自光坊は加持の師を勤め、のちに手習・読書等を教授した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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