舎人郷(読み)とねりごう

日本歴史地名大系 「舎人郷」の解説

舎人郷
とねりごう

毛長けなが川右岸の舎人を遺称地とし、埼玉県川口市・鳩ヶ谷市の一部も含んだと推定される戦国期の郷。永禄五年(一五六二)と推定される八月二六日の北条氏朱印状(本田文書)に「越谷・舎人」とみえる。葛西かさい(現葛飾区)をめぐる小田原北条氏と岩付太田氏の争奪戦に参加、成功した本田正勝はかねて舎人郷と武蔵国越谷こしがや郷を恩賞として約されていたが、北条氏は両郷とも大郷なので一層の戦功を条件に支給するとしている。


舎人郷
とねりごう

和名抄」諸本とも訓を欠く。現東郷とうごう町の旧舎人村地区、東郷池東岸の舎人川流域一帯に比定される。東郷池に臨む御冠みかんむり山西麓の宮内みやうち(現東郷町)には伯耆一宮とされる倭文しとり神社があり、また近辺には野方のかた廃寺弥陀みだなる廃寺など古代寺院跡や古墳群もあり、この地域に有力な在地首長がいたことをうかがわせる。


舎人郷
とねごう

「和名抄」所載の郷。同書高山寺本・名博本は舎人、東急本・元和古活字本は舎代とするが、「出雲国風土記」に舎人郷と記されるので舎人であると考えられる。諸本とも訓を欠くが、トネであろう。風土記によれば、意宇おう郡一一郷のうちで郡家の東二六里に郷長の家があり、欽明天皇の代に大舎人として仕えた日置臣志毘(倉舎人君らの祖)が居住した地で、正倉が置かれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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