芥川宿(読み)あくたがわしゆく

日本歴史地名大系 「芥川宿」の解説

芥川宿
あくたがわしゆく

[現在地名]高槻市芥川町二―四丁目

南東流する芥川にほぼ直交する西国街道(山崎通)の、芥川東詰を中心に形成された宿。

〔中世〕

芥川宿の形成を直接明示する史料はないが、西大寺叡尊の「感身学正記」弘安六年(一二八三)一〇月の記事に「十日、下向芥河摂津国島上郡、自十一日三ケ日、於地蔵堂、説十重戒意、十四日、二百九十人授菩薩戒」とみえ、叡尊が当地で二九〇人の衆生に菩薩戒を授けて、夕方忍頂にんちよう(現茨木市)に入っているので、彼の諸国廻宿の行状からみて、芥川宿がすでに成立していたことを示している。その後芥河氏居城がその北辺に設けられたことなどがあったが、芥川宿の島上しまかみ郡衙解体以来の市場機能は継承され、相対的に独立した市町を形成していたことは、「太平記」巻一四(将軍御進発大渡・山崎等合戦事)に、建武三年(一三三六)正月初めに京に上る足利方細川定禅と、京から反旗をひるがえして帰郷する赤松範資とが西国街道上で出会い、ともに京都攻撃の意を固めて「正月八日ノ午ノ刻ニ芥川ノ宿ニ陣ヲ取ル」とみえることからも知られよう。応仁の乱の東軍敗北の流れをうけて芥川城がいったん滅んだときも、戦乱の終結した文明一四年(一四八二)三月、細川政国は芥川宿に設陣している(翰林葫蘆集)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の芥川宿の言及

【芥川城】より

…摂津国北東部の要地,島上郡芥川宿(現,大阪府高槻市)付近にあった城。芥川宿を本拠とし,鎌倉幕府の御家人で南北朝時代以降は代表的な国人であった芥河(川)氏の居館か,同時に城館でもあったと推定される第1期芥川城(平城)と,背後の山地,通称三好山に築かれた第2期芥川城(山城)がある。…

※「芥川宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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