芳賀栄次郎(読み)ハガ エイジロウ

20世紀日本人名事典 「芳賀栄次郎」の解説

芳賀 栄次郎
ハガ エイジロウ

明治〜昭和期の陸軍軍医総監



生年
元治1年8月(1864年)

没年
昭和28(1953)年2月27日

出生地
陸奥会津若松(福島県)

別名
号=東山

学歴〔年〕
東京帝大医学大学〔明治20年〕卒,東京帝大大学院外科専攻博士課程修了

学位〔年〕
医学博士〔明治27年〕

経歴
大学卒業後陸軍に入り、明治21年3等軍医。大学院で学び、30年モスクワの第12回国際医学会、ウイーンの第6回万国赤十字会議に出席、シベリア単独横断して帰国。この間ドイツ陸軍病院で見たシーメンス・シュッケルト社のレントゲン装置を私費講入、軍医学校に届けた。40年近衛師団軍医部長、41年陸軍軍医学校長、43年軍医総監。大正3年退官、朝鮮総督府医院長兼京城医学専門学校長となり、9年東京・四谷で病院開業、昭和8年西荻窪で外科専門医院を開業した。著書に「救急新法」「外科通論」「銃創論講義」など。俳句、書をたしなんだ。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「芳賀栄次郎」の解説

芳賀栄次郎 はが-えいじろう

1864-1953 明治-昭和時代の軍人,外科医
元治(げんじ)元年8月生まれ。明治29年ドイツに留学し,日本にはじめてレントゲン装置を導入する。単騎でシベリアを横断して帰国。40年陸軍軍医学校長,大正4年軍医総監。退官後は東京で外科医院を開業した。昭和28年2月27日死去。88歳。陸奥(むつ)会津(あいづ)(福島県)出身。帝国大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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