若草伽藍跡(読み)わかくさがらんあと

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「若草伽藍跡」の意味・わかりやすい解説

若草伽藍跡
わかくさがらんあと

奈良県生駒郡斑鳩町にある寺跡。四天王寺式伽藍配置もち飛鳥時代古瓦を出土し,現法隆寺前身と推定される。法隆寺塔頭普門院の南に,明治の初年まで塔心礎が遺存していた。 1939年その心礎は再び元位置に戻されたが,続いて発掘調査が行われ,塔跡,金堂跡も明らかにされた。また 83年に若草伽藍の西限を示す柵列遺構が発掘され,その結果,配置,方位,規模などから,現法隆寺西院伽藍との同時併存を考えることは不可能となり,したがってこの遺跡は,天智9 (670) 年に焼けたという根本法隆寺にあたるものとされ,1世紀にわたる法隆寺再建非再建論争終止符を打った。

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百科事典マイペディア 「若草伽藍跡」の意味・わかりやすい解説

若草伽藍跡【わかくさがらんあと】

奈良県法隆寺境内,西院伽藍(さいいんがらん)の南東にある飛鳥時代の伽藍跡。1939年石田茂作(もさく)の調査で,塔と金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置であることなどの点で現法隆寺より古式に属することが明らかになり,法隆寺再建説を決定づけた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「若草伽藍跡」の解説

若草伽藍跡
わかくさがらんあと

奈良の法隆寺塔頭の普門院付近にある伽藍跡
昭和の初め発掘調査された,法隆寺の創建当時の伽藍跡。現在の法隆寺の建物はそれが焼失してから再建されたとする再建説が有力である。

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国指定史跡ガイド 「若草伽藍跡」の解説

わかくさがらんあと【若草伽藍跡】


法隆寺旧境内(ほうりゅうじきゅうけいだい)

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世界大百科事典(旧版)内の若草伽藍跡の言及

【飛鳥美術】より

…この様式変化をとらえて,大化改新以後を白鳳時代とする説が多いが,仏像の正面観照や側面観照にしても平面性を脱却できず,量的把握や律動感に欠けるなど,天智朝以降の白鳳時代とは造形的に異なるものがあるため,この時代を飛鳥後期とする。
[若草伽藍をめぐって]
 法隆寺再建非再建論争は,半世紀近く続けられたが,1939年現南大門東の若草伽藍跡の発掘の結果,法隆寺より古い四天王寺式伽藍の存在が確認されたため,現在では再建説がとられている。また69‐70年の再発掘では,金堂基壇ののちに塔基壇が築成されたことが判明し,出土した4組の瓦は若草伽藍のものと比定されているが,それより古い八葉花弁の弁端に珠点を配する百済系の瓦が,若草伽藍のみならず西院からも出土した。…

※「若草伽藍跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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