苦木村(読み)にがきむら

日本歴史地名大系 「苦木村」の解説

苦木村
にがきむら

[現在地名]大鰐町苦木

ひら川を隔てて東に長峰ながみね村がある。

正保二年(一六四五)の津軽知行高之帳の平賀ひらか郡の新田に高六七二・七石とある。貞享四年(一六八七)検地帳によれば田畑屋敷合せて三六町五反一畝二七歩、村高二七三・八九石であった。うち田方は二四町一反七畝二五歩、二三五・四五六石、上田から下々田まで設定され、中田が九町一反七畝一〇歩、九一・七三三石、上田六町七反八畝一四歩、八一・四一六石、下田六町四反九畝七歩、五一・九三九石とあり、畑方は一二町三反四畝二歩、三八・四三四石、上畑から下々畑までで、下畑が五町二反四畝五歩、一五・七二五石である。


苦木村
にがきむら

[現在地名]佐伯町苦木

吉井川東岸で、こぶが(四二九・二メートル)東南麓に集落がある。北は北山方きたやまがた村、南は南山方村伝承によると、村名は健胃薬をとる落葉小喬木である苦木が自生していたことによるという。また古くは古木村とも称したという。慶長一〇年(一六〇五)の備前国高物成帳(備陽記)矢田やた郷苦木村とある。寛永備前国絵図では高六四石余。「備前記」に「山寄セ大川端」とあり、枝村として二軒屋にけんや杖谷つえだにが載る。「備陽記」では田畠七町二反余、家数二八・人数一九六。岡山城下さかえ町まで道程八里、船路倉安くらやす川通り城下京橋きようばしまで一二里、池三、高瀬船二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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