荒船-東谷風穴蚕種貯蔵所跡(読み)あらふねあずまやふうけつさんしゅちょぞうしょあと

国指定史跡ガイド の解説

あらふねあずまやふうけつさんしゅちょぞうしょあと【荒船-東谷風穴蚕種貯蔵所跡】


群馬県甘楽(かんら)郡下仁田(しもにた)町南野牧屋敷、吾妻(あがつま)郡中之条町赤坂にある養蚕関連施設跡。明治時代後半から昭和初期にかけて、蚕種孵化(ふか)時期の調整のために、天然の冷風の吹き出し口を掘り下げて石垣を組み、覆屋を設けて内部に蚕種を貯蔵した施設である。江戸時代まで蚕の飼育は年内1蚕(春蚕中心)しかできなかったが、年間を通して涼しく温度変化の少ない山間の天然の冷風が吹き出す風穴の利用によって、人工的に蚕種を保存する技術が進み、明治半ば以降には2蚕、3蚕と増えた。明治期後半の蚕の増産は、風穴の利用によってもたらされたものといってもよく、風穴利用による蚕種貯蔵は、増える生糸輸出需要をまかなうための原料繭(まゆ)の生産増大に大きく寄与し、大正後期以降昭和初期に機械式冷蔵庫が普及するまで、養蚕・製糸業一翼をになった。風穴の利用が明治30年代末以降全国で本格化すると、政府は1911年(明治44)、蚕業取締規則を制定し、全国の風穴を地方長官の許可制のもとに置いた。これは蚕業冷蔵取締制度が廃止される1917年(大正6)度まで続き、全国32府道県239ヵ所の風穴事業が確認できるが、現在これらの風穴の多くは消滅したり所在不明になっており、群馬県内では下仁田町と中之条町に貯蔵風穴が良好に残存している。下仁田町の荒船風穴蚕種貯蔵所は、下仁田町中心街の西約16kmの長野県境に近い標高840m前後の沢沿いの傾斜地にある。地元の養蚕家、庭屋静太郎が経営する春秋館のもと、1905年(明治38)から大正時代初頭にかけて造られた3基の大規模な施設による蚕種貯蔵能力は110万枚で全国一、その取引先は全国におよんだという。当時の資料によれば、1号風穴は間口7間、奥行き3.5間、2号風穴は間口11.5間、奥行き3.5間、3号風穴は間口8間、奥行き3.5間とあり、3基とも深さ約4.5mでその上に純土蔵式の建屋があり、いずれも3階構造。建屋は現在残っていないが、3基の風穴の石積みが良好に残り、壁面からは冷気が吹き出ている。中之条町の東谷風穴蚕種貯蔵所は、市街地から6km北東の東谷山の北麓、標高680mに立地する。奥木仙五郎により1906年(明治39)から整備された。吾妻風穴、栃窪風穴とも呼ばれ、主に吾妻郡内を取引範囲としていたが、貯蔵数は10万枚を超えるものと推計され、地域単位の風穴としては全国有数の規模である。蚕種の冷却に際して氷雪も利用し、当時の写真と現地調査によれば、管理棟と大小2基の貯蔵庫があり、大きい1号風穴は、冷風の吹き出し口の周囲を石積みで囲った地下2階、地上1階からなる建屋があり、地下2階は氷庫として使用された。建屋は現存しないが、風穴の石積み、事務所の礎石などが残っている。2010年(平成22)に国の史跡に指定された。荒船風穴蚕種貯蔵所跡へは、上信電鉄上信線下仁田駅から車で約23分。東谷風穴蚕種貯蔵所跡へは、JR吾妻線中之条駅から車で約28分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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