菅谷館(読み)すがややかた

日本の城がわかる事典 「菅谷館」の解説

すがややかた【菅谷館】

埼玉県比企郡嵐山(らんざん)町にあった中世の城館。松山城跡(比企郡吉見町)、小倉城跡(同ときがわ町・嵐山町・小川町)、杉山城跡(同嵐山町)とともに「比企城館跡群」として一括で国指定史跡となっている。都幾川槻川の合流点付近の高台に築かれた平城(ひらじろ)である。鎌倉幕府初期の有力御家人畠山重忠の居館だった。源頼朝没後、実権を握った初代執権の北条時政が重忠を排斥するため謀叛嫌疑をかけたことから、1205年(元久2)に畠山重忠の乱が起こったが、この戦いで畠山氏一族は滅亡した。その後、この城館は畠山氏の名跡を継いだ足利義純の子孫が受け継いだとされるが、その後の記録は残されていない。1488年(長享2)、山内上杉氏は対立していた扇谷上杉氏の拠点であった川越城(河越城、川越市)の押さえとして、この城館を再興し、16世紀前半まで拠点として活用した。その後の菅谷館はどうなったか明らかではなく、北条氏の進出以前に廃城になったとする説、北条氏も城として活用したとする説があるが、発掘調査からは北条氏の時代の遺物遺構は発見されていない。現在、同館跡には、その縄張りを示す土塁や堀跡がきわめて良好な状態で残っており、城跡には県立嵐山史跡の博物館が建っている。東武東上線武蔵嵐山駅から徒歩約15分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の菅谷館の言及

【嵐山[町]】より

…槻川が結晶片岩の岩盤を刻んでつくる穿入蛇行谷は京都の嵐山に似た景勝地で,武蔵嵐山と呼ばれる。中心集落の菅谷は中世には鎌倉街道に沿う交通の要衝で,畠山重忠の居城菅谷館跡(史)がある。農業が主体の町で米作が盛ん。…

※「菅谷館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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