日本大百科全書(ニッポニカ) 「菩提流支」の意味・わかりやすい解説
菩提流支
ぼだいるし
生没年不詳。6世紀、北インド出身の翻訳僧。サンスクリット名ボディルチBodhiruci。また道希(どうき)、覚愛(かくあい)ともいう。508年(永平1)洛陽(らくよう)にきて、永寧(えいねい)寺に住して翻訳に従事、『十地経論(じゅうじきょうろん)』『入楞伽経(にゅうりょうがきょう)』『金剛般若経(こんごうはんにゃきょう)』『無量寿経論(むりょうじゅきょうろん)』など39部127巻を訳出した。また曇無最(どんむさい)の『大乗義章』を胡語(こご)に転訳して西域(せいいき)に送った。後世、地論(じろん)宗の祖とされ、また曇鸞(どんらん)に『観無量寿経』を授け、世親(せしん)の『無量寿経論』を伝訳したため、浄土教の一祖と仰がれた。達磨(だるま)とほぼ同時代の僧で、流支は彼を憎み、弟子の光統(こうとう)律師(慧光(えこう)。468―537/538)とともに、毒殺を企てたという伝説もある。
[丘山 新 2017年4月18日]