生没年は正確に断定しえないが、北魏(ほくぎ)後半から北斉初頭にかけての、中国浄土教の僧。浄土真宗の七祖の一人。俗名などについては不明。迦才(かさい)の『浄土論』に、出身地は汶水(もんすい)と記されているが、一般には『続高僧伝』によって雁門(がんもん)(山西省)とされている。『続高僧伝』によれば、15歳に満たないころ、五台山中の文殊化現(もんじゅけげん)の霊跡を訪ね、感銘を受け出家した。そして、当時湖北で盛んであった龍樹(りゅうじゅ)の空観(くうがん)を学んだ四論(しろん)の学匠であった。50歳を過ぎたころ、『大集経(だいじっきょう)』の注釈の完成のために、長生不死の仙法を求め、陶隠居(とういんきょ)(陶弘景(とうこうけい))に仙経10巻を授かった。帰路、洛陽(らくよう)で菩提流支(ぼだいるし)三蔵にあい、長生不死の法でこの仙経に勝る法が仏法のなかにあるかと問い、地に唾(つば)をして菩提流支に叱責(しっせき)され、『観無量寿経』を授かった。これによって、仙経10巻を焼き捨て、深く浄土教に帰依(きえ)した。以後、著作と念仏の教化とに命を捧(ささ)げ、67歳で没したと伝えられている。迦才の『浄土論』には、学匠としてよりも、民衆とともに浄土へ往生(おうじょう)した往生人として伝えられている。著作には、曇鸞教学の真髄である『浄土論註(ちゅう)』2巻がある。ほかに『讃阿弥陀仏偈(さんあみだぶつげ)』1巻、『略論安楽浄土義』1巻などがある。
[延塚知道 2017年3月21日]
中国,北魏の僧。中国,日本の浄土教の祖。山西省北部の五台山近くの雁門で生まれ,出家ののちは竜樹系の四論(《智度論》《中観論》《十二門論》《百論》)の教義に親しんだ。のち《大集経》の注釈をしようとして病気になり,不老長寿の術を得るべく江南に至り,茅山の陶弘景について学び《仙経》を得て北帰した。しかし洛陽で,北インドからきていた菩提流支に会い,仏教にも無量寿の法があると,新訳なったばかりの世親撰《無量寿経論》(一説に《観無量寿経》)を授けられて大いに恥じ入り,《仙経》を焼いて浄土教に回心し,のちには汾州の石壁玄中寺に住した。いわゆる〈浄土三部経〉(《無量寿経》《観無量寿経》《阿弥陀経》)を浄土往生の信仰の聖典とし,《無量寿経論》の注釈たる主著《往生論註》のほか,阿弥陀仏への賛美歌ともいうべき《讃阿弥陀仏偈》を著し,〈難行道〉を捨てて仏願力に乗ずる〈易行道〉につくべきことを宣布し,浄土教義を確立した。その教義は,道綽(どうしやく),善導をへて日本に伝わり,法然,親鸞,とくに親鸞の浄土教義の基礎となった。
執筆者:礪波 護
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…文水に面した石壁山の山号をもつ玄中寺は,中国でもっとも由緒ある浄土教の寺院である。北魏の曇鸞(どんらん)が,浄土教へ回心して,晩年にこの寺に住した。のちに涅槃経を修めていた道綽(どうしやく)が,609年(隋の大業5)48歳のときにこの寺にきて曇鸞の碑文をよみ,浄土教に帰したとされる。…
…《華厳経》の受持にともない,5世紀ころから文殊菩薩の住む清涼山にあたると信ぜられ,普賢菩薩の峨嵋山,観音の補陀落山とともに中国三大仏教聖地の一つとなった。浄土教の曇鸞(どんらん)がここに遊び聖跡に感じて出家した話は有名であるが,大塔院寺等いわゆる台中百ヶ寺の基礎が置かれたのも,このころである。窺基は弟子を率いて福田を行い,澄観は華厳寺で華厳,法華を講義,《華厳経疏》をあらわし,また高麗の慈蔵,北インドの仏陀波利,日本の玄昉(げんぼう)など外国僧の入山も相次いだ。…
…ただし,慧遠を中心とする結社は高僧隠士の求道の集まりで,主として《般舟三昧経》に依拠して見仏を期し,各人が三昧の境地を体得しようと志すものであって,ひろく大衆を対象とする信仰運動ではなかった。日本の法然,親鸞らを導いた純浄土教義と信仰は,北魏末の曇鸞(どんらん)に始まり,道綽(どうしやく)を経て善導によって大成される。はじめ竜樹系の空思想に親しんでいた曇鸞は,洛陽でインド僧の菩提流支に会い,新訳の世親撰《無量寿経論》を示されて浄土教に回心し,のち山西の玄中寺でこれを注解した《往生論註》を撰述し,仏道修行の道として仏の本願力に乗ずる易行道につくことを宣布するとともに,いわゆる〈浄土三部経〉を浄土往生の信仰の中心とする浄土教義をうちたてた。…
…〈五念門〉とは,礼拝,讃嘆,作願,観察,廻向の五つであるが,なかでも観察(浄土を観想すること)が中心で,17種の国土荘厳,8種の仏荘厳,4種の菩薩荘厳よりなる。中国において,曇鸞(どんらん)が《浄土論註》(《往生論註》)を書いてその思想を展開し,日本では法然が〈浄土三部経〉と並べて〈三経一論〉として重んじた。【末木 文美士】。…
…中国,北魏の僧曇鸞(どんらん)(476‐542)の主著。インドのバスバンドゥ(世親または天親)の《浄土論》に対する注釈で,《往生論註》ともいい,《論註》《註論》とも略称される。…
※「曇鸞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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