日本歴史地名大系 「菱沼村」の解説 菱沼村ひしぬまむら 神奈川県:茅ヶ崎市菱沼村[現在地名]茅ヶ崎市菱沼一―三丁目・松林(しようりん)一―三丁目・小和田(こわだ)一―三丁目・小桜(こざくら)町・赤松(あかまつ)町・浜竹(はまたけ)一―二丁目・出口(でぐち)町・ひばりが丘(おか)・旭が丘(あさひがおか)・美住(みすみ)町・松浪(まつなみ)二丁目・菱沼海岸(ひしぬまかいがん)・白浜(しらはま)町・松が丘(まつがおか)一―二丁目南の小和田村と村域が錯綜し、海岸に飛地がある。北は大山道を境に赤羽根(あかばね)村に接し、村の中ほどを東海道が通る。嘉暦元年(一三二六)と推定される一一月七日の左大弁清閑寺資房奉書(県史二)に「相模国大庭御厨内菱沼郷」とみえる。永正一六年(一五一九)四月二八日の宗瑞(伊勢長氏)箱根領注文(県史三)に菊寿丸知行分として「百廿くわん文 ひしぬま」とみえる。 菱沼村ひしぬまむら 千葉県:東金市菱沼村[現在地名]東金市菱沼前之内(まえのうち)村の北に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高六二〇石。元和三年(一六一七)当村など一千四〇〇石が旗本岩瀬領となる(知行宛行状)。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳では家埜子組に属し、旗本大導寺領六二〇石。元禄郷帳では高六七〇石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では家数四九、旗本大導寺・仙石領。 菱沼村ひしぬまむら 宮城県:栗原郡栗駒町菱沼村[現在地名]栗駒町尾松(おまつ)二迫(にのはさま)川の支流下熊(しもくま)川沿いに立地し、二迫川対岸の南に二迫泉沢(いずみざわ)村、西は同八幡(やわた)村、東は同栗原(くりはら)村。当村も二迫に属し、一二迫下郷大肝入の管轄。正保郷帳に村名がみえ、田四二貫六二六文・畑六貫九二一文とあり、旱損と注される。 菱沼村ひしぬまむら 山形県:東田川郡三川町菱沼村[現在地名]三川町菱沼横山(よこやま)村の東に位置し、北は小尺(しようしやく)村、東は加藤(かとう)村。小村のため竹原田(たけはらだ)村・小尺村・加藤村とともに四ヵ村(よんヵそん)通と称し、竹原田村の肝煎の管轄下にあった。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高二六三石余。寛永元年庄内高辻帳では高二三三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by