朝日日本歴史人物事典 「萩原兼従」の解説
萩原兼従
生年:天正16(1588)
江戸前期の神道家。神祇管領吉田兼治の子。長男であったが,家督を弟兼英に譲り,祖父兼見の養子となる。萩原を称し,養父の職の豊臣秀吉を祀る豊国社の社務職を継承した。後陽成天皇に神道を進講し,秀吉,徳川家康,徳川秀忠に仕える。大坂城内の豊国社創建に尽くしたが,豊臣氏滅亡とともに豊国社も破却され,兼従も豊後国(大分県)に配流が決まった。だが義弟細川忠興の計らいで許され堂上に列した。のち神道の学問を深め,門弟の吉川惟足に吉田神道の奥義を授け,まだ若年の吉田家当主の成長後に伝授させようとした。<参考文献>平重道『吉川神道の基礎的研究』
(白山芳太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報