萩原兼従 はぎわら-かねより
1588-1660 江戸時代前期の神道家。
天正(てんしょう)16年生まれ。吉田兼治の長男。祖父吉田兼見の養子となり,萩原と改姓。豊臣秀吉をまつる京都豊国社の社務職をつぎ,豊臣氏滅亡で職をうしなった。以後は神道の学問をふかめ,晩年,弟子の吉川惟足(よしかわ-これたり)に秘伝をつたえた。万治(まんじ)3年8月13日死去。73歳。京都出身。著作に「神道大意私記」。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の萩原兼従の言及
【吉川神道】より
…江戸前期の神道家吉川惟足(これたり)によって提唱された神道。惟足が萩原兼従から道統伝授された[吉田神道]によりながら,その儒仏神三教包摂的な思想に対し,仏教的要素を除いて,儒学とくに宋学理論の重視を説き,みずから理学神道と称した。また君臣の道としての神道を強調した。…
※「萩原兼従」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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