日本歴史地名大系 「落井村」の解説 落井村おちいむら 福井県:鯖江市落井村[現在地名]鯖江市落井町弁財天(べんざいてん)山(一二〇メートル)の南西、河和田(かわだ)川に沿う。河和田川は当村の西端で鞍谷(くらたに)川に合流する。乙坂(おつさか)村の南に位置する。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では今北東郡に「落居村」と記され、高九九五・二九二石。正保郷帳には落井村とあり、田方七九五石余・畠方二〇〇石。福井藩領。枝村に南落井村がある(越前国名蹟考)。河川の氾濫も多く、安永八年(一七七九)の往還道欠岸・堤欠損による修復の記録(蓑輪家文書)などが残る。「越前国名蹟考」に「此村近郷七月七日の夜山へ登り篝火を焼、声を揚て黎明に至る、是聖霊を迎る習俗の由、此里人のかたりき」とある。 落井村おちいむら 千葉県:千葉市緑区落井村[現在地名]緑区落井町中西(なかにし)村の北にあり、椎名上(しいなかみ)郷に属した。寛永四年(一六二七)から生実藩領で、同五年の小弓領郷帳に村名がみえ、田一五四石余・畑一〇石余。幕末まで同藩領。明和九年(一七七二)旱魃のため大豆・小豆年貢の赦免を出願している(宍倉家文書)。文化四年(一八〇七)の年貢米は一四八俵余で、同一四年には田方五二俵余が減免されている(鈴木家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by