プロ野球選手(内野手:右投右打)、監督。12月9日、秋田県生まれ。秋田工業高では無名の選手で、東洋大学に進学したものの厳しい上下関係を受け入れられず半年で退部。一時プロボウラーを目ざした後、社会人野球の東芝府中に入り、1978年(昭和53)のドラフト3位で1979年ロッテオリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)に入団、当時すでに25歳だった。2年目にイースタン・リーグ(二軍リーグ)で5試合連続ホームランを打ってシーズン後半に一軍に昇格、3年目には首位打者を獲得、翌1982年には史上最年少の三冠王となった。1985年は打率3割6分7厘、52本塁打、146打点という驚異的な成績をあげて2回目の三冠王。翌1986年には2年連続で三冠王を獲得、史上初となる3回目の三冠王となった。1987年自ら希望して中日ドラゴンズに移籍し、日本人選手として初めて年俸が1億円を突破、以後しばらく日本人最高年俸の選手として、プロ野球選手の年俸アップに影響を与えた。その後も読売ジャイアンツ(巨人)、日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)と球団を移り、1998年(平成10)に、45歳目前で引退した。プロ入りが遅かったため、通算記録での日本記録はないが、昭和後半から平成にかけて、日本を代表する選手であった。2003年10月、中日ドラゴンズ監督就任。2004年、2006年にリーグ優勝、2007年は公式戦(レギュラーシーズン)2位に終わったが、同年からセントラル・リーグが導入したクライマックス・シリーズ(公式戦上位3チームによるプレーオフ)で3位の阪神タイガース、1位の読売ジャイアンツを破り、日本シリーズへ進出。北海道日本ハムファイターズを降して、中日ドラゴンズを53年ぶり2回目の日本一へ導いた。和歌山県太地(たいじ)町に落合博満野球記念館(1993年開設)がある。
[森岡 浩]
選手としての20年間の通算成績は、出場試合2236、安打2371、打率3割1分1厘、本塁打510、打点1564。獲得したおもなタイトルは、首位打者5回、本塁打王5回、打点王5回、三冠王3回、最優秀選手(MVP)2回、ベストナイン10回。監督としての2007年までの通算成績は、323勝240敗11分、勝率5割7分4厘、リーグ優勝2回、クライマックス・シリーズ優勝1回、日本シリーズ優勝1回。
[編集部]
『落合博満著『なんと言われようとオレ流さ』(1986・講談社)』▽『落合博満著『プロフェッショナル』(1999・ベースボール・マガジン社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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