日本大百科全書(ニッポニカ) 「薛道衡」の意味・わかりやすい解説 薛道衡せつどうこう(540?―609?) 中国、隋(ずい)の文人。字(あざな)は玄卿(げんけい)。河東郡汾陰(ふんいん)(山西省)の人。北斉(ほくせい)、北周、隋の3代に仕え、隋の文帝のとき、南朝陳(ちん)の討伐に功があり、また政治の枢要にあずかった。庾信(ゆしん)によって北朝にもたらされた南朝の艶麗(えんれい)な文学的手法と北方の質実剛健な気風とをあわせた彼の詩は、唐詩の風の先駆とされる。文帝を殺害して即位した煬帝(ようだい)に、時政を論じて忌まれ、自殺を命じられた。一説には、文学的自負の高かった煬帝が、彼の詩句に嫉妬(しっと)して殺したともいう。[成瀬哲生] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「薛道衡」の意味・わかりやすい解説 薛道衡せつどうこうXue Dao-heng [生]大同4(538)?[没]大業3(607)?中国,隋の詩人。汾陰 (山西省) の人。字,玄卿。南朝風の流麗な表現のなかに,北方のきびしい自然をうたい,また七言詩にもすぐれた作品があり,その発達に寄与した。司隷大夫のとき,その文才をそねむ煬帝から自殺を命じられた。詩集『薛司隷集』。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by