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中国の王朝(550~577)。東魏(とうぎ)の実権者高洋(高歓の子)が、傀儡(かいらい)皇帝である元氏を倒して創建した。単に斉とも、創建者の姓をつけ高斉ともいう。東魏の領土と首都(鄴(ぎょう))をそのまま受け継ぎ、ライバルの西魏=北周に比べて人材、物資ともに豊富であったが、結局、北周に滅ぼされた。北斉の君主には暴君、暗君が相次いで、独裁権を強め奢侈(しゃし)や乱行が多く、東魏以来の武将たちを抑圧。一方、皇帝に取り入って勢力を挽回(ばんかい)しようとする漢人貴族が政界を牛耳(ぎゅうじ)り、また皇帝の側近には身分の卑しい追随者たちが党派をなして権勢を振るった。これらの勢力が互いに凄惨(せいさん)な相克を繰り広げたので、国家はその内部からむしばまれ、華北統一の契機を北周に奪われた。
[谷川道雄]
550~577
南北朝時代の北朝の王朝。東魏の実力者高洋(文宣帝)は孝静帝を廃して帝位につき,弟高演(孝昭帝)の時代まで北周,陳,突厥(とっけつ)を圧する勢いがあったが,のち寵臣が政治をとり,逆に突厥などの圧迫を受け,北周に滅ぼされるに至った。
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…550‐577年。北斉,高斉ともいう。東魏の実力者高歓の死後,その地位を引き継いだその子の高澄は政権奪取を計画していたが,不慮の死をとげた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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