庾信(読み)ユシン

デジタル大辞泉 「庾信」の意味・読み・例文・類語

ゆ‐しん【庾信】

[513~581]中国南北朝時代文人。南陽郡新野(河南省)の人。あざな子山しざん南朝りょうに仕え、のちに西魏北周に仕えた。宮廷文学を代表する詩人で、その詩は徐陵の文とともに「徐庾じょゆ体」とよばれ、望郷の思いを込めた「哀江南賦」が有名。

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精選版 日本国語大辞典 「庾信」の意味・読み・例文・類語

ゆ‐しん【&JISEAAB;信】

  1. 中国、南北朝時代の文人。字は子山。南陽郡新野(河南省)の人。初め南朝の梁に仕え、武康県侯に封ぜられたが、北周に使した際、留められ、その後梁が滅亡したため、そのまま北周に仕えた。驃騎将軍、開府儀同三司となり、その華麗な美文は、徐陵とともに徐庾体と称される。「庾子山文集」一六巻がある。(五一三‐五八一

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「庾信」の意味・わかりやすい解説

庾信
ゆしん
(513―581)

中国、北周の詩人。字(あざな)は子山。南陽郡新野(河南省)の人。父の庾肩吾(けんご)は、南朝梁(りょう)の太子蕭綱(しょうこう)(簡文帝)の文学サロンの側近文人で、庾信も若くして蕭綱に仕えた。艶麗(えんれい)な詩風は、同時代の徐陵(じょりょう)と並べて「徐庾体」とよばれ、蕭綱の文学サロンから流行し一世を風靡(ふうび)した「宮体詩」の名手であった。しかし侯景の乱によって庾信の環境は激変する。乱平定後、元帝蕭繹(しょうえき)の命で西魏(せいぎ)の国都長安に使いしたが、長安滞在中、西魏の侵寇(しんこう)によって梁は事実上崩壊してしまう。南朝を代表する文人であった庾信は、西魏で、さらに西魏にかわった北周で厚遇され、隋(ずい)の初年、69歳で異境の地に果てた。北朝に仕えた体験は、庾信の文学を一変させた。亡国の悲しみと望郷の思いに自己の悲劇をみ続けたことは、彼の生涯のテーマとなり、多くの凄涼(せいりょう)感ただよう賦(ふ)や詩に結実した。それらは、南朝文学の終焉(しゅうえん)を暗示するとともに、次代の唐詩の激情の世界へとつながっている。「哀江南(あいこうなん)の賦」や「擬詠懐」27首が代表作。『庾子山集』16巻がある。

[成瀬哲生]

『興善宏著『中国の詩人4 庾信』(1983・集英社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「庾信」の意味・わかりやすい解説

庾信
ゆしん
Yu Xin

[生]天監12(513)
[没]大定1(581)
中国,六朝時代末の文学者。新野 (河南省) の人。字,子山。庾肩吾の子。初め梁に仕えたが太清2 (548) 年侯景の乱が起ると,蕭繹 (しょうえき。元帝) を頼って江陵逃れ,帝位についた繹の使者として西魏の都長安におもむいた。その間に梁が滅びたので,そのまま,才能を尊重され文化的指導者として西魏,北周,隋など北方王朝に仕えて終った。若年の頃は梁の簡文帝幕下で,当時流行の「宮体」の第一人者とまでいわれた艶麗な詩文は,徐陵と並んで「徐 庾体」と称された。北に移ってからは,亡国の身を異郷に託す境遇と,その間に接した北方の剛健な気風が,その風格に深みを加え,阮籍の『詠懐詩』を模した『擬詠懐詩』や,『哀江南賦』などの代表作を生み,六朝の最後を飾る文学者となった。作品は『 庾子山文集』 (20巻) に収められている。

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改訂新版 世界大百科事典 「庾信」の意味・わかりやすい解説

庾信 (ゆしん)
Yǔ Xìn
生没年:513-581

中国,南北朝末の詩人。字は子山。南陽新野(河南省)の人。はじめ父の庾肩吾らとともに梁の簡文帝のもとで,宮廷詩人として名を挙げた。駢儷体(べんれいたい)の詩文にすぐれ,同僚の徐陵とともに〈徐庾体〉の名をはせた。梁末に外交使節として長安に滞在中,梁が滅びたため,そのまま北にとどまって西魏・北周に仕えた。北遷後は,沈鬱な望郷の思いを重厚な表現に包む詩風により,新たな境地を開いた。《庾子山集》16巻がある。
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世界大百科事典(旧版)内の庾信の言及

【威奈大村墓誌】より

…このような形式は,中国南北朝時代の方形墓誌に例が多い。またその表現には,中国北周の文人庾信(ゆしん)の作った墓誌銘と共通するものが少なくない。これはこの墓誌が庾信の作品を文集などを通じて利用したためである。…

【中国文学】より

…題材はますます広くなり,陸機の〈文の賦〉のごとく文学の理論をこの形式で説いたものがあり,陶潜(淵明)でさえ,彼にはめずらしく美女を描く〈閑情の賦〉を作ったほどである。庾信(ゆしん)の〈哀江南の賦〉は多量の典故を用いて,南朝の滅亡をうたった壮大な叙事詩というべき大作であった。
[楽府]
 楽府(がふ)は漢代の宮廷に設けられた役所の名から,その楽人が演奏した曲の歌詞の総称となった。…

※「庾信」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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