藤井能三(読み)フジイ ノウゾウ

20世紀日本人名事典 「藤井能三」の解説

藤井 能三
フジイ ノウゾウ

明治・大正期の実業家 北陸通船創立者。



生年
弘化3年9月21日(1846年)

没年
大正2(1913)年4月20日

出生地
越中国射水郡伏木村(富山県高岡市)

別名
幼名=嘉他郎

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔明治27年〕

経歴
越中国伏木(富山県高岡市)に回漕問屋・能戸屋三右衛門の子として生まれる。家業を継いで富山藩用達となり、苗字帯刀を許された。明治元年の北越戦争に際して藩の輜重運輸に従事。2年藩命により神戸に物産輸出のための商法・為替両会社を設立頭取となった。8年伏木に三菱汽船誘致し、また北陸通船を創立。ウラジオストック航路を開くなど、対岸貿易を目指した。一方、中越鉄道会社や第十二国立銀行、富山県農工銀行などを設立して富山県西部の近代化に力を注いだ。6年私財を投じて富山県内初の伏木小学校を開校した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「藤井能三」の解説

藤井能三

没年:大正2.4.20(1913)
生年:弘化3.9.21(1846.11.9)
明治期の港湾改良者。越中国射水郡伏木町(富山県高岡市)の船問屋能登屋三右衛門の子。私費で伏木小学校,女子学校を作る。明治8(1875)年三菱会社代理店となり汽船を廻航させ,別に北陸通船会社を作った。灯台測候所を作り,鉄道を引き,北前船の基地伏木港を明治22年に米など5品特別輸出港,同32年に開港場とする。また,ウラジオストク航路を開き,庄川河口港であったが同川を分離し大型船の入港を可能とした。全私財を投じ対岸貿易を夢みた地域経済論者であり,日本海を眺望できる伏木小学校校庭に銅像がある。<参考文献>原田翁甫『三州船舶通覧』,高瀬保「富山県に於ける北前船主」(『日本歴史』274号),伏木港史編纂委員会編『伏木港史』

(高瀬保)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井能三」の解説

藤井能三 ふじい-のうぞう

1846-1913 明治時代の実業家。
弘化(こうか)3年9月21日生まれ。生家は越中(富山県)射水郡伏木村(高岡市)の廻船問屋。明治6年県内初の伏木小学校を創設。8年伏木港に三菱汽船を誘致。また北陸通船を創立,伏木-直江津間などの定期航路をひらく。銀行や米商会所の設立にもつくした。大正2年4月20日死去。68歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「藤井能三」の解説

藤井 能三 (ふじい のうぞう)

生年月日:1846年9月21日
明治時代;大正時代の港湾改良家
1913年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android