藤原倫寧(読み)ふじわらのともやす

朝日日本歴史人物事典 「藤原倫寧」の解説

藤原倫寧

没年貞元2(977)
生年:生年不詳
平安中期の官人。正四位下。左馬頭惟岳と源経基の娘の子。京官にもついたが地方官の歴任が多い。天暦8(954)年に赴任した陸奥守在任中には毎年特産の金を貢進したことが知られ,天禄1(970)年,丹波守のとき家司を務めた関白藤原実頼の葬送にかかわり,貞元1(976)年には伊勢守のとき石清水祭の祭使を務めている。受領歴任で得た財力左京の一条と五条に邸宅を構え,娘や身内を住まわせた。娘(『蜻蛉日記』の作者)を藤原兼家(のちに摂政)に嫁がせ,道綱が生まれている。またもうひとりの娘(妹)は菅原孝標に嫁ぎ,生まれた娘は『更級日記』を書いた。おじの源満仲(経基の子),その子頼光も一条に邸宅を所有したからこの一族は高級住宅地に顔を揃えていたことになる。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原倫寧」の解説

藤原倫寧 ふじわらの-ともやす

?-977 平安時代中期の官吏
左馬頭(かみ)藤原惟岳の子。母は源経基の娘。陸奥(むつ)などの国守を歴任し,没時は伊勢守(いせのかみ),正四位下。娘に藤原道綱の母(「蜻蛉(かげろう)日記」作者),孫に菅原孝標(たかすえ)の娘(「更級(さらしな)日記」作者)がいる。貞元(じょうげん)2年死去。

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