藤原周光(読み)ふじわらのちかみつ

朝日日本歴史人物事典 「藤原周光」の解説

藤原周光

没年:没年不詳(没年不詳)
生年承暦3頃(1079)
平安時代後期の学者,漢詩人。藤原北家良門の子孫頼長(保元の乱の主人公とは別人)の子で,式家の敦基の養子となる。学者としても官吏としても思うように昇進できず,60歳代後半に一時隠遁生活を送るが,再び出仕し,80歳前後の保元3(1158)年までは存命であった(『古今著聞集』巻3)。藤原忠通を中心とする詩壇の主要メンバーのひとりで,『本朝無題詩』の作者中最多の105首が収められている。なかでも巻7の大宰府から京へ上る途次での連作には当時の社会風俗も描かれ興味深いが,全体にその生涯を反映した厭世的な作品が多い。<参考文献>佐藤道生「藤原周光の生涯」(『平安文学研究』67号)

(堀川貴司)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原周光」の解説

藤原周光 ふじわらの-ちかみつ

1079ごろ-? 平安時代後期の官吏,漢詩人。
承暦(じょうりゃく)3年ごろ生まれる。民部丞(じょう)藤原頼長の子で,藤原敦基(あつもと)の養子。官途は従五位上,大監物(だいけんもつ)にとどまる。藤原忠通(ただみち)を中心とする詩壇で活躍,蓮禅(れんぜん)と親交があった。詩は「本朝無題詩」に105首。保元(ほうげん)3年(1158)80歳のころ,弟子高官に身をささえられて内宴に出席,面目をほどこした。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の藤原周光の言及

【本朝無題詩】より

…1162‐64年(応保2‐長寛2)前後に成立か。撰者未詳だが,藤原周光(ちかみつ)が有力視される。また藤原忠通が成立になんらか関与したと思われる。…

※「藤原周光」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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