朝日日本歴史人物事典 「藤原範茂」の解説
藤原範茂
生年:元暦1(1184)
鎌倉前期の公卿。高倉と称す。父は藤原範季,母は中納言平教盛の娘。少将,中将を経て承久1(1219)年蔵人頭,同2年参議。建保3(1215)年ごろから甲斐(山梨県)の知行国主となっており,これにより甲斐宰相と呼ばれた。姉妹には順徳院の母の修明門院があり,近親者には卿二位がある。範茂も後鳥羽上皇に近侍していた。承久3年の承久の乱では上皇方の中心公卿として活動。源有雅らと共に宇治・勢多に向かい幕府軍と戦うが敗北し捕らえられる。北条朝時に預けられ,鎌倉へ護送される途中,相模国で誅殺された。
(本郷和人)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報