朝日日本歴史人物事典 「藤原資房」の解説
藤原資房
生年:寛弘4(1007)
平安中期の公卿。大納言資平の長男で母は近江守藤原知章の娘。父が小野宮(藤原)実資の養子になったことで小野宮家を継いだ。後朱雀天皇の蔵人頭を4年務めたあと長久3(1042)年,参議。父はこのとき権中納言で,祖父実資は86歳で現役の右大臣,親子3代が公卿として顔を揃えるのは珍しい。資房の『春記』は摂関(藤原頼通)の独裁や蔵人頭の軽視を憤るなど,政治,世相,人物に対する悲憤慷慨に満ちている。神経質で病弱なこともあり,自分に甘く他人に厳しい人間だったようだ。<参考文献>加納重文「藤原資房」(『古代文化』28巻3,4号),赤木志津子『摂関時代の諸相』
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報