藤子不二雄(読み)フジコフジオ

デジタル大辞泉 「藤子不二雄」の意味・読み・例文・類語

ふじこ‐ふじお〔ふぢこフジを〕【藤子不二雄】

漫画家藤本弘安孫子素雄あびこもとおの合同ペンネーム。「オバケのQ太郎」「ドラえもん」「忍者ハットリくん」などの大ヒット作を次々と生み出し、国民的な人気作家となった。→藤子・F・不二雄藤子不二雄Ⓐ

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤子不二雄」の意味・わかりやすい解説

藤子不二雄
ふじこふじお

藤本弘、安孫子素雄(あびこもとお)(1934―2022)の2人の漫画家の共同執筆時代のペンネーム。1987年(昭和62)、藤本弘は藤子・F・不二雄(ふじこえふふじお)、安孫子素雄は藤子不二雄として、独立して活動することになった。

 藤子・F・不二雄 漫画家。富山県生まれ。本名、藤本弘。小学校の同級生安孫子素雄とコンビを組み、藤子不二雄の名で漫画を描き出す。1964年『少年サンデー』に『オバケのQ太郎』を連載し大ヒット、アニメ化もされる。1969年小学館の学年誌に『ドラえもん』(1970年1月号)を連載し大ヒット。その後アニメ化もされてさらに人気を得る。1980年代からアニメ版『ドラえもん』は世界中でテレビ放映され、その人気で単行本も翻訳されて世界中で読まれている。このほかの代表作は『パーマン』『21エモン』『ウメ星デンカ』『エスパー魔美(まみ)』など。

 藤子不二雄 漫画家。富山県生まれ。本名、安孫子素雄。1953年『冒険王』に初の連載漫画『四万年漂流』を描く。1964年『忍者ハットリくん』を『少年』に連載してヒット。代表作は『怪物くん』『まんが道』『劇画・毛沢東伝』『プロゴルファー猿』『添乗さん』『笑ゥせぇるすまん』など。映画にも造詣(ぞうけい)が深く、1990年(平成2)、自ら原作をもとに映画『少年時代』を制作した。

[清水 勲]

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百科事典マイペディア 「藤子不二雄」の意味・わかりやすい解説

藤子不二雄【ふじこふじお】

藤本弘(〔1933-1996〕。富山県高岡市生れ,高岡工芸高卒)と安孫子素雄(〔1934-〕。富山県氷見市生れ,高岡中部高卒)のコンビからなる漫画家。小学校時代に知り合い,中学時代に漫画の合作を始める。手塚治虫の《新宝島》を読んで漫画家を志し投稿を繰り返した後,1951年《天使の玉ちゃん》でデビュー。1954年手塚のすすめで上京,トキワ荘に住み寺田ヒロオ,赤塚不二夫石ノ森章太郎らと親交を持つ。《海の王子》(1959年)で評価を確立。1964年連載開始の《オバケのQ太郎》のころより個別に制作,藤本は《ドラえもん》《パーマン》など,安孫子は《怪物くん》《魔太郎がくる!!》などを手がける(発表は共同名義)。1988年コンビを解消し,藤本は藤子・F・不二雄,安孫子は藤子不二雄Aの名義で発表。半自伝的作品に《まんが道》(藤子不二雄A)がある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤子不二雄」の意味・わかりやすい解説

藤子不二雄
ふじこふじお

藤本弘 (ふじもとひろし)   1933.12.1. 富山~1996.9.23. 東京 
安孫子素雄 (あびこもとお)   1934.3.10. 富山~2022.4.7. 神奈川
漫画家。藤子不二雄は藤本と安孫子の合作の筆名。中学生時代から共同で漫画を描き,1951年『天使の玉ちゃん』でデビュー。1954年上京。1964年から『少年サンデー』誌に『オバケのQ太郎』を連載,人気を呼ぶ。1970年から代表作『ドラえもん』の連載開始。アニメーション化もされ,子供たちの圧倒的支持を得る。アジア諸国をはじめ,海外においても人気が高まった。子供の日常と夢をテーマとし,『怪物くん』(1966),『パーマン』(1967)など人気作品は多数。1987年コンビを解消し,藤本は藤子・F・不二雄,安孫子は藤子不二雄Ⓐとして独自の創作活動を始めた。

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