藤島の戦(読み)ふじしまのたたかい

改訂新版 世界大百科事典 「藤島の戦」の意味・わかりやすい解説

藤島の戦 (ふじしまのたたかい)

1338年(延元3|暦応1)越前国吉田郡藤島(現,福井市)付近で行われた,南朝方新田義貞軍と足利方斯波高経(しばたかつね)軍との戦闘。この戦いで義貞は討死する。前年3月の同国金崎城陥落に先立って同城を脱出した義貞は,同国国人瓜生保(うりゆうたもつ)の居城杣山(そまやま)城に拠って,同国足羽(あすわ)城に拠る越前守護斯波高経に対抗した。《太平記》によると,義貞は同国平泉寺(へいせんじ)衆徒過半や加賀国人多数を味方にして高経軍を攻め,この年2月同国府中(武生市)を占領した。しかし義貞は叡山の衆徒とも結んだので,叡山と多年藤島荘の領有を争っていた平泉寺衆徒は高経に加勢した。義貞は閏7月2日,同寺衆徒のこもる藤島城を攻めるため出撃したが,灯明寺畷(とうみようじなわて)で高経の部将細川出羽守らと遭遇し,矢傷を負ってたおれ,自害した。高経は義貞の遺骸を往生院(坂井市の旧丸岡町の称念寺)に葬り,首級を京都に送ったという。この義貞の討死は南朝方にとって大打撃であった。
南北朝内乱
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山川 日本史小辞典 改訂新版 「藤島の戦」の解説

藤島の戦
ふじしまのたたかい

1338年(暦応元・延元3)閏7月2日,新田義貞が越前国藤島城(現,福井市)攻撃中に越前国守護斯波(しば)高経軍と遭遇し敗死した戦。前年の3月,足利方の大軍投入で義貞の拠った越前国金崎(かねがさき)城は陥落したが,北畠顕家の西上によって足利軍主力が東山道・畿内方面に移動したため,義貞はしだいに勢力を盛り返し,越前の府中(現,武生市)を占領。さらに38年閏7月,高経の拠る黒丸城(現,福井市)を攻撃しようとした。このとき足利方に呼応した平泉寺衆徒の籠城する藤島城攻撃に手勢を率いてむかう途中,救援に駆けつけた高経麾下の細川孝基の歩射部隊と灯明寺畷(とうみょうじなわて)(現,福井市)付近で遭遇し,義貞は不慮戦死をとげた。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

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