藤津村
ふじつむら
[現在地名]東郷町藤津
野方村の西、東郷池東岸で舎人川河口にあたる。天保一二年(一八四一)領内限りで藤ノ津村と改称された(在方諸事控)。伯耆一宮倭文神社への参道は当地からのものが本道といわれる。拝領高四七六石余。倉吉荒尾分家の荒尾氏、高橋氏・野田氏・佐分利氏の給地があった(給人所付帳)。宝暦三年(一七五三)頃の河村郡村々明細帳(近藤家文書)によると朱高五一九石余、高五六八石余、うち畑高四八石余。
藤津村
とうつむら
[現在地名]金井町中興
北は上中興村、東は下中興村、西は藤津川を挟んで和泉村、南は国府川を挟んで金丸村(現真野町)。集落は国仲平野寄りにあったという。弘化二年(一八四五)までは「ふじつ」とよばれていた(金沢村誌稿本)。「佐州巡村記」では、田一八町八反余・畑二町九反余。戸口は三五軒・一二二人。用水は藤津川と中津川から引水する。木村九右衛門家宅地および畑地は藤津城とよばれる平城跡である。周囲に土塁が一部形をとどめ、外側の堀も一部水田として残る。年不詳の絵図(木村九右衛門家蔵)によると、宅地にあたる部分に湧水があり、屋敷の南西隅に地神が祀られる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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