蛇溝村(読み)へびみぞむら

日本歴史地名大系 「蛇溝村」の解説

蛇溝村
へびみぞむら

[現在地名]八日市市蛇溝町

芝原しばはら村の南西にあり、北東今堀いまぼり村、北は今在家いまざいけ村、南は布引ぬのびき山。ほぼ南北御代参ごだいさん街道が走る。村名は用水路にちなんだものと思われる。中世には保内下四郷の一で、今堀郷とともに保内商業では重要な役割を果した。野方に属する蛇溝郷はたか井の水路延長により、一四世紀後半にかけて徐々に畑地の水田化が進行したとされる。蛇溝郷については戦国時代末までの文書が残存せず不明ながら、今堀郷と同様一六世紀以後いちおうの水田化を達成したとみられる。天文四年(一五三五)五月一三日の蛇溝郷村人連署請状(今堀日吉神社文書)によれば、この時期みなみきたつじひがし集落からなっており、近世まで続いた。

郷内には羽木はねぎ堂とも庵室とも称された村堂(現蛇溝町公民館)が存在し、ここに保存されてきた宮座文書(蛇溝町共有文書)のなかの二巻の巻数、つまり永仁五年(一二九七)から始まる九月九日頭の頭人目録一巻と堂頭の目録一巻により、蛇溝郷でも一三世紀末には宮座組織が確立し、惣村秩序が形成されていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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