蟹沢遺跡(読み)かにさわいせき

日本歴史地名大系 「蟹沢遺跡」の解説

蟹沢遺跡
かにさわいせき

[現在地名]小国町舟渡 中屋敷

あら川西岸の河岸段丘上に位置する縄文時代中期末葉から後期初頭にかけての集落跡。昭和五四年(一九七九)圃場整備に伴って緊急調査が行われ、地床炉ないし複式炉を伴う竪穴住居跡二一基・土壙三三基等の遺構検出なかでも中期末葉の大木10式前葉段階の複式炉を伴う竪穴住居跡群が注目される。遺物では大木10式・三十稲場式・堀之内I式に相当する土器と、これらに伴った磨石等の礫石器などが多数認められた。


蟹沢遺跡
かにさわいせき

[現在地名]東根市蟹沢 熊野堂

みだれ川扇状地の扇端部、標高九七―九八メートルの舌状の微高地上に位置する。かつては熊野堂くまのどうの南面一帯に広がりがみられ、その規模は二〇〇メートル四方にも及ぶかと推測される。しかし遺跡の中心部、西側に張出す微高地の大方は昭和四一年(一九六六)から翌年の農業改善事業により壊滅した。調査は昭和三五年と同四二年に行われた。第一次調査では縄文時代晩期の大洞C2式並行期のものが、第二次調査の時は福浦島下層期前後の弥生土器がまとまって出土した。


蟹沢遺跡
かにさわいせき

[現在地名]八戸市妙 蟹沢

蟹沢集落が所在する標高約五〇メートルの台地の南斜面に営まれた遺跡。昭和三〇年(一九五五)発掘調査され、縄文時代前期末の遺物が多数出土した。土器は円筒土器下層d式が主体であるが、なかには本来のd式と異なった東北地方南半部に中心をもつ大木系土器の影響が濃いものもある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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