目次 鹿と人間 日本 食用 ヨーロッパ 偶蹄目シカ科Cervidaeの哺乳類の総称。北アメリカから南アメリカ,ユーラシア,北アフリカ(エチオピア区 を除く)に分布し,13属約41種がある。体の大きさはアンデス,チロエ島などに分布するプーズー (体長78~93cm,尾長2.5~3.5cm,体高32~42cm,体重7~10kg)から,ユーラシアと北アメリカの北部に分布するヘラジカ (体長240~310cm,体高140~235cm,体重200~825kg)まである。体はほっそりとして四肢が長く,キバノロを除けば雄は骨質の枝角をもつ。枝角は年1回角座から脱落し,その後に新しい角が生ずる。初めは皮膚に覆われた袋角で,血管に富み柔らかいが,成長するにつれカルシウムが沈着して固くなり,やがて皮膚がはげ落ちて完成する。上あごの犬歯はふつう小さいか,またはないが,無角のキバノロや角の小さいキョンなどでは長大なきばに発達する。下あごの犬歯は切歯と同形で切歯に接している。臼歯(きゆうし)はふつう歯冠部が短い短歯で,繊維の多い草を食べるのにはウシ科の動物ほど適していない。胃は4室に分かれ,第三胃が大きく,胆囊がない。中手骨と中足骨は第3と第4が合一して管骨となり,第2と第5は一部だけが残っている。多くは目の前下方に眼下腺,指の間に蹄間腺,その他の臭腺をもつ。
生息地は森林,湿地,荒れ地,砂漠,ツンドラなど変化に富む。植物食で柔らかい草,樹皮,小枝,若芽などを食べる。多くは群れで生活し,季節的な移動をするものでは,そのとき大群となる。繁殖期には雄どうしが闘い,雌を獲得するが,多くの雌を従えてハレムを形成するものもある。妊娠期間はノロでは約10ヵ月に達する。ふつう1腹1子,ときに2子,まれに3~4子を生むものがある。
大別して二つの系統がある。一つは第2と第5中手骨の下部だけが残るもので,キバノロ亜科(キバノロ ),オジロジカ亜科(マザマジカ ,パンパスジカ ,オジロジカ ,ノロ ),ヘラジカ亜科(ヘラジカ ),トナカイ 亜科(トナカイ )がこれに属する。他は,中手骨の上部だけが残っているもので,キョン亜科(キョン ,マエガミジカ )とシカ亜科(シフゾウ ,ダマジカ ,ターミンジカ ,スイロク ,アカシカ ,ホッグジカ ,ニホンジカなど)がこの群に属する。ジャコウジカ は前群に似るが,他のシカと違って胆囊や麝香(じやこう)腺があり,眼下腺がないなど特殊な点があるので,ここでは独立の科とみなした。
狭義のシカは,シカ属シカ亜属Sika (英名sikadeer)に属する中~小型のものの総称。角には枝が4本あり,少なくとも夏毛には胴に白い斑点があり,しりの白い部分は毛を逆立てて広げることができる。東アジアの特産で,中国,ウスリー,北海道のタイリクジカ,台湾のタイワンジカ,本州,四国,九州などのニホンジカ ,対馬のツシマジカの4種がある。中国では絶滅に近づいているが,ヨーロッパなどに野生化したものは増えつつある。 執筆者:今泉 忠明
鹿と人間 日本 鹿は日本列島には古くから多数生息したらしく,縄文時代の遺跡から,食用にした痕跡として骨や角が多く出土するほか,道具として加工されたものも少なくない。毛皮は衣服用となったと推察され,近世に至るまで山仕事,狩りに際していばらや切株から下半身を保護する袴として使用された。銅鐸などの絵にも鹿が描かれている。古語でカと総称し雄をシカ(セ=夫),雌をメカと呼んだ。その肉に特有の香りがあるためという説もある。カセギ,カノシシ(香の宍=肉)とも呼ばれた。猪やウサギとともに野獣の代表として,牛馬など家畜肉の食用が忌まれた民間仏教流布の時代にも,その肉の利用は一般に承認されたが,鹿を神使とする信仰もあって,奈良の春日大社などこれを神聖視する神社や,また肉食を忌む社寺では鹿肉食をケガレとして禁じたところもある。そのような土地では鹿が住民になれて野生のまま養われてきた。奈良公園 をはじめ厳島神社,金華山神社などがよく知られる。
比較的疎開した林地に生息するため人里近い山野に現れ,とくに初秋の交尾期に鳴きかわす声が人に親しまれ,古来多くの吟詠の題材とされ,また画題ともなっているほか,その雌雄のたわむれる様から思いついたとみられる鹿踊 (ししおどり)が東日本各地,ことに東北地方の民俗芸能に多いことが注目される。そして鹿踊が鎮魂の意味で興行されたらしいことは,空也らの聖(ひじり)が鹿の角をつけた杖をもち鹿の皮ごろもをまとう装束をしていたこととかかわるように思われる。
鹿は農作物を荒らす害獣でもあったので,その防除は領主にとっても重要であり,その駆除のための大規模な巻狩 は,それが戦闘武技の訓練ともなったので,近世まで武家の行事となっていた場合もまれでない。その獲物は武具の一部ともなったのである。鹿の巻狩は狩場となる場所にさくや土手を設け,多数の勢子を動員して鹿を各所からそこへ追い込み,待機する領主や武士たちがこれを射止める方式である。これは農民にとっては大きな負担であったが,各藩や幕府の将軍のうちには大規模な巻狩を試みた者もまれではなく,その獲物のうち鹿は最多数を占めて,ときには一度の狩りに数百頭以上に及ぶ記録も残っている。中世には狩りとは鹿に限っていうことばであるという記事さえ見られ,鹿と人とのかかわりはきわめて大きかった。 執筆者:千葉 徳爾
食用 捕獲しやすく,かつ,美味のゆえであろう,日本人は古くから鹿を好んで食べたようで,縄文遺跡の出土例でも鹿は猪を上回って,哺乳類中の最多を示している。《延喜式》には2月,8月の釈奠(せきてん )祭の料として,干肉,塩辛のほか,羹(あつもの)などに用いる肉や内臓の名が見え,《今昔物語集》巻三十には〈煎物ニテモ甘シ,焼物ニテモ美キ奴〉ということばがあり,平安期以降おおむねそうした食べ方がされていたようである。江戸後期の儒学者羽倉簡堂の《饌書》によれば,鹿は冬が美味で,胸肉がもっともよく後肢がこれにつぐとされ,料理としてはすき焼風のなべ料理が歓迎されるようになっていた。なお,鹿の角,とくに袋角は鹿茸(ろくじよう)といって薬用とされた。鹿茸は粉末にして眼科に用いるとされるが,補精強壮剤にもされたようである。通常の角は黒焼きにしてニンジン,ニッケイを加えて産後の血の道によいとされた。《延喜式》には鹿茸,鹿角が薬種として貢納されたことが見えている。 執筆者:鈴木 晋一
ヨーロッパ 鹿は先史時代から好んで狩りの対象にされ,その角や骨は種々の生活用具に使われた。スウェーデン のボフスレンの青銅器時代の岩絵には多くの鹿の絵が見られ,なかには日輪車を引いているものもある。ギリシアでは狩りの女神アルテミス(ローマのディアナ)の神聖な動物で,この女神は鹿を守護し,鹿の供犠を受ける。この供犠は小アジアではよく知られていたらしく,鹿の姿はアルテミスと結びついて花瓶や貨幣の上によく見られる。鹿狩りは古代ギリシアの狩人の最大の楽しみであった。若鹿の肉は食用として珍重され,血と髄は薬や化粧用に,骨は楽器に,皮は敷物や袋に使われた。角はとくに治癒力をもつとされ,御守にしたり,削って薬にした。北欧神話では宇宙樹イグドラシル から葉や若芽をむしって食べる牡鹿のことが出てくる。北欧独特の動物組紐文様の中に鹿は竜や馬などとともによく現れる。鹿はそのしなやかで美しい姿態,優美な動きと機敏さ,美しい目などからして,古くから神の使いとされ,またさっそうとした若武者にたとえられた。〈エッダ 〉では英雄シグルズ(ドイツではジークフリート)が〈獣の間にすらりとした鹿が立ったよう〉と表現されている。
鹿はまた民間の信仰や習俗,歌や民芸でも重要な役割を果たしている。聖人エウスタキウスが,角の間に光り輝く十字架をつけた鹿のビジョンを見てキリスト教に改宗したという伝説はとくに有名である。ヘッセンやザクセンの伝説では白鹿は死の使いとされている。鹿の角は家の破風にとりつけて魔よけにされ,ウィーンのシュテファン教会では雷よけとして塔につけられていた。つめと歯は御守になり,脂,血,皮,角は民間医薬に広く使われ,性欲が強いとされる牡鹿の尾や精液は不能や不妊をなおす薬とされた。 執筆者:谷口 幸男