袖ケ浦市(読み)そでがうらし

日本歴史地名大系 「袖ケ浦市」の解説

袖ケ浦市
そでがうらし

面積:九四・九二平方キロ

北から東は市原市、東から南は木更津市に接し、北西は東京湾に臨む。市域南部をまつ川などを集めて小櫃おびつ川が流れ、沖積平野を形成している。海岸線に近くJR内房線・国道一六号が通る。

〔原始―近世〕

縄文時代の後期から晩期にわたる山野さんや貝塚、弥生時代終末期の大集落が発見された文脇ふみわき遺跡、古墳時代前期の坂戸神社さかどじんじや古墳、弥生時代から奈良時代に及ぶ西にしくぼ遺跡、縄文時代から平安時代にわたる二又堀ふたまたぼり遺跡などが知られる。日本武尊の東征伝説が三黒みくろ岩井の国勝いわいのくにかつ神社などに残る。古代の畔蒜あびる郡の一部、望陀もうだ飫富おふ(和名抄)などが市域に比定される。同郷名に関連する飽富あきとみ神社は式内社で、天慶二年(九三九)の平将門の乱では朱雀天皇による鎮定の祈願が行われたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「袖ケ浦市」の意味・わかりやすい解説

袖ケ浦〔市〕
そでがうら

千葉県中西部,東京湾にのぞむ市。 1955年昭和町と長浦 (ながうら) 村さらに根形 (ねがた) 村の一部が合体して袖ヶ浦町となり,71年平川 (ひらかわ) 町と合体し,91年市制,現表記に改めた。中心地区の袖ケ浦は,木更津街道の宿駅として発達。海岸は遠浅のノリ養殖地として知られたが,埋立て地が造成されて石油化学関係の大企業が進出京葉工業地域の一部を形成している。内陸部は農業地帯で,住宅地の開発もみられる。 JR内房線,国道 16号線が通る。面積 94.93km2人口 6万3883(2020)。

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