西大枝村(読み)にしおおえだむら

日本歴史地名大系 「西大枝村」の解説

西大枝村
にしおおえだむら

[現在地名]国見町西大枝

阿武隈川の北方にあり、ほぼ中央を南北に牛沢うしざわ川が流れ、南部は阿武隈川の氾濫原を見下ろす。村の主要部は牛沢川と藤田ふじたから梁川やながわ(現梁川町)へ東西に走る街道に沿う。北部西根上にしねうわ堰が青木あおき溜池を通ってほぼ東流する。北は光明寺こうみようじ村・東大窪ひがしおおくぼ村・西大窪村、南は川内かわうち村、二野袋にのふくろ(現梁川町)、東は東大枝村(現同上)、西は森山もりやま村。牛沢川の西と森山村との境を流れるなめり川との間、および東大枝村との境を流れる諸川内もろこうち川との間には、平安時代初め頃と推定される条里の遺構が近年まで残されていた(国見町史)

元弘三年(一三三三)八月日の伊達貞綱安堵申状(南禅寺文書)に「西大枝次郎□郎田在家」とみえ、伊達貞綱は同年三月からの合戦の恩賞として同地などの安堵を申請し、九月八日に陸奥守北畠顕家から認められている。貞綱は但馬国小佐おさ(現兵庫県八鹿町)に居住する伊達氏の庶流で元弘の乱の際、後醍醐天皇の近臣千種忠顕に属して戦った。天文七年(一五三八)の段銭古帳には伊達西根だてにしねうちとして「にし大え田」とみえ、段銭は二貫六五〇文。南部の字古館こだてにある館跡に西大枝氏が住んでいた。西大枝氏はもとは伊藤氏を称し(「西大枝家譜」伊達世臣家譜)、伊達氏始祖中村念西(のちの伊達朝宗)に従って常陸国より当地に移り、伊達氏譜代の家臣となった。当地中部金谷かなやには伊達稙宗重臣となった国分氏が住した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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