西寺村(読み)にしてらむら

日本歴史地名大系 「西寺村」の解説

西寺村
にしてらむら

[現在地名]石部町西寺

阿星あぼし山の北西山麓に集落を形成。村名は地内の天台宗常楽じようらく寺の通称西寺によるものと思われる。中世檜物ひもの庄に属し、のち石部三郷として推移。天正一九年(一五九一)四月の徳川家康知行目録写(大谷文書)によれば「西寺」四〇七石余が家康の在京賄料に充てられている。江戸時代の領主東寺ひがしてら村と同じであったが、文政石高帳では山城淀藩領で以後幕末まで同じ。

西寺村
にしでらむら

[現在地名]室戸市もと 崎山さきやま吉良川きらがわ黒耳くろみ

行当ぎようど岬の北東、標高一〇〇―二〇〇メートルの海岸段丘上の崎山と、その北西麓の海岸集落の黒耳からなる村で、北西は吉良川村に続く。大同二年(八〇七)空海の開基と伝える金剛頂こんごうちよう(西寺)の江戸時代の寺領を一村とした村であるが、元村に合併して記す郷帳も多い。

天正一五年(一五八七)の西寺地検帳によると、寺地を含めて「崎山ノ村」が二町八反余、一四の居屋敷があり、居住者の半数近くは黒耳村に扣地をもつ。黒耳村は七町余で、居屋敷一三のうち七人は無姓ながら給地を与えられている。四一町四反余あった金剛頂寺領は山内氏入国とともにいったん没収されたが、山内氏は改めて崎山・黒耳のうち八〇石(八町)を寺領として与え、寺領百姓一一人が付けられた(慶長六年一〇月二〇日付西寺寺領並百姓相渡目録「南路志」所引)

西寺村
にしでらむら

[現在地名]菊池市西寺

野間口のまぐち村の南、菊池川と迫間はざま川に挟まれた広大な沖積平野に立地する大村。上西寺村ともいう。隈府わいふ町高札辻より約一四町。慶長五年(一六〇〇)検地帳に「上西寺村」と記され、田五九町七反八畝余・畠四二町五反五畝余、分米一千四四石六斗余とある。「国誌」は小村として南古閑村・辻堂村を記す。深川手永に属し、文化一一年(一八一四)頃の深川手永手鑑には高一千六九石八斗余、田五九町一畝・畑三九町余、竈数一三三・人数四八七、牛馬一一四、氏神六殿宮とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android