西屋村(読み)にしやむら

日本歴史地名大系 「西屋村」の解説

西屋村
にしやむら

[現在地名]奥津町西屋

吉井川の右岸扇状地にあり、水田はおもに扇端部に開け、集落は扇央部を中心に集村をなす。東は女原おなばら村、南ははこ村、西は富東谷とみひがしだに(現富村)中世には伯耆往来を押える西屋城の根小屋集落として重要性をもち、近世には鉄穴かんな流しやたたらが盛行し、各地にその残丘が認められる。元亀三年(一五七二)一〇月一〇日の小早川隆景書状(萩藩閥閲録)によれば、部将の久芳新四郎と内海兵庫允両名に「西屋表」の動静に注意を払うことを指示している。正保郷帳に高一一九石余、うち田方八〇石余・畑方三八石余とある。「作陽誌」では家数三三・人数一九七。

西屋村
にしやむら

[現在地名]舞鶴市字西屋

河辺由里かわなべゆり村の西方、河辺川の中流右岸に位置し、集落はそら山を背に南面して耕地に対している。農耕中心の村。

古代志楽しらく(和名抄)、中世には志楽庄河辺村の地と考えられる。近世に入り慶長検地郷村帳には高一九四・七五石「西屋村」と出る。土目録でもほぼ同高で、内訳は田方一六〇石余、畑方三四石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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