泉神社(読み)いずみじんじや

日本歴史地名大系 「泉神社」の解説

泉神社
いずみじんじや

[現在地名]宇佐市辛島 泉

辛島からしまの南部、ごうとの境にある。八幡大神などを祀り、旧郷社。中世には辛島郷の郷社とされ、宇佐宮行幸会八社の一。社伝によると大化四年(六四八)辛島勝乙が社殿を造営したという。本殿の西に御池があり、同池石殿に弁財天宮を祀る。承和一一年(八四四)六月一七日の宇佐八幡宮弥勒寺建立縁起(石清水文書)によると、かつて八幡大神宇佐郡北西にあって潮辺に泉を掘り、この泉で口手足を洗った。このとき豊前国をもっていた崇志津比(「宇佐託宣集」では奈志津比が大神に酒を奉ったので酒井泉社とよぶようになったという。

神社
いずみいわじんじや

[現在地名]奥津町養野

養野ようのの東部、いずみ(一二〇九・一メートル)の山麓下にある。祭神は大山祇命。もと郷社。弘仁一四年(八二三)の創建と伝える。「作陽誌」によれば、射水いずみ神社・射水山口権現と称し、久田くた一二ヵ村の鎮守であったという。明治五年(一八七二)泉山中腹にあった上の宮、その下方の中の宮、下の宮を併せて現在地に移転し、社名も改称した。

泉神社
いずみじんじや

[現在地名]鶴岡市勝福寺 泉山

勝福寺しようふくじ地区北端の泉山にある。旧村社。祭神は事代主命・溝昨媛命。「筆濃余理」は、祭神・創建年代ともに不詳としながらも、祭神は弥都波能売神、文治五年(一一八九)武藤義郷の再建とも説く。和泉山いずみやま明神ともいわれた。境内の泉池が鶴岡の古称大泉おおいずみの由来とされ、「出羽国風土略記」には社殿右の御手洗のそばに、昔泉の湧き出た所といって幣帛を数多く立ちならべたなかに、古井のようなものが落葉に埋もれてあると境内の様子を記し、往古この井泉を祀って泉大明神と称し、ここから大泉の庄の名も出たものかとしている。

泉神社
いずみじんじや

[現在地名]日立市水木町二丁目 泉山

泉ヶ森に鎮座。祭神は天速玉姫命。旧郷社。

創立年代は不明。「三代実録」貞観八年(八六六)五月二七日条に「授常陸国天之速玉神従五位下」、同一六年一二月二九日条に「授常陸国従五位下天之速玉神従五位上」とあり、また「延喜式」神名帳の「久慈郡七座」のうちに「天速玉姫アメノハヤタマヒメノ命神社」と記され、七座のうちの小社としてみえる。祭神の速玉の語は清泉の美称で、祭神は大井おおいとよばれる湧泉の神格化と考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報