朝日日本歴史人物事典 「西山志澄」の解説
西山志澄
生年:天保13.6.6(1842.7.13)
明治期の政党政治家。高知城下に土佐(高知)藩士西山嘉蔵の子として生まれた。土佐勤王党に属し武市瑞山の薫陶をうけ,勤王党の獄では武市免罪運動に関与。戊辰戦争で土佐藩軍に属し転戦。明治以後は兵部省に出仕,奈良県官吏を勤めたが,征韓論政変(1873)で退官。立志社に参画,明治11(1878)年立志社副社長,13年大阪開催の愛国社大会で副議長(1880)として国会開設請願運動に尽力。『土陽新聞』社長。議会開設以後は衆院議員に当選4回,31年大隈(隈板)内閣の警視総監となる。
(福地惇)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報