西山志澄(読み)ニシヤマ シチョウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「西山志澄」の解説

西山 志澄
ニシヤマ シチョウ


肩書
衆院議員(政友会)

別名
別名=植木 志澄

生年月日
天保13年6月6日(1842年)

出生地
土佐高知城下(高知県)

経歴
土佐勤王党武市半平太に従って尊王を唱えた。明治元年戊辰の役には板垣退助部下として会津戦争従軍。10年高知県土佐郡長となったが辞任して板垣、片岡健吉らの自由党創立尽力。25年以来衆院議員当選2回。その間警視総監を務めた。晩年キリスト教を信仰聖書を楽しんだ。

没年月日
明治44年5月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「西山志澄」の解説

西山志澄

没年:明治44.5.26(1911)
生年:天保13.6.6(1842.7.13)
明治期の政党政治家。高知城下に土佐(高知)藩士西山嘉蔵の子として生まれた。土佐勤王党に属し武市瑞山薫陶をうけ,勤王党の獄では武市免罪運動に関与。戊辰戦争で土佐藩軍に属し転戦。明治以後は兵部省に出仕,奈良県官吏を勤めたが,征韓論政変(1873)で退官。立志社に参画,明治11(1878)年立志社副社長,13年大阪開催の愛国社大会で副議長(1880)として国会開設請願運動に尽力。『土陽新聞』社長。議会開設以後は衆院議員に当選4回,31年大隈(隈板)内閣の警視総監となる。

(福地惇)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西山志澄」の解説

西山志澄 にしやま-ゆきずみ

1842-1911 幕末-明治時代の武士,政治家。
天保(てんぽう)13年6月6日生まれ。土佐高知藩士。武市瑞山(たけち-ずいざん)にしたがい尊攘(そんじょう)運動にくわわる。維新後は自由民権をとなえ,立志社,愛国社の創立に尽力。明治25年衆議院議員(当選5回,政友会)。31年警視総監となる。明治44年5月27日死去。70歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西山志澄」の解説

西山 志澄 (にしやま しちょう)

生年月日:1842年6月6日
明治時代の自由民権運動家;政治家。衆議院議員;警視総監
1911年没

西山志澄 (にしやまゆきずみ)

生年月日:1842年6月6日
江戸時代後期;末期;明治時代の武士、政治家
1911年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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