日本歴史地名大系 「西泉田村」の解説 西泉田村にしいずみだむら 茨城県:猿島郡境町西泉田村[現在地名]境町西泉田鵠戸(くぐいど)沼(現在は水田)のヤト田の西に所在。西は上小橋(かみこばし)村。北部と南部に平地林があった。泉田村とも称し、和泉式部にかかわりがあるとも伝える。天文二四年(一五五五)とみられる梅千代王丸足利義氏充行状写(豊前氏古文書抄)に<資料は省略されています>とあり、豊前氏の支配を受けた。天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)の「上幸嶋」分には「泉田 豊前左衛門尉」とみえる。 西泉田村にしいずみだむら 新潟県:南魚沼郡六日町西泉田村[現在地名]六日町西泉田魚野(うおの)川を挟んで東泉田村の西にある。北は支流鎌倉沢(かまくらざわ)川を挟んで六日町村、西は竹俣(たけまた)村・竹俣新田(現塩沢町)、南は島(しま)新田(現塩沢町)。枝村に西泉田新田(現在、畑新田)がある。西方を清水(しみず)道が通る。もとは東泉田村と一村。字古町(ふるまち)はかつての集落の中心であったが、洪水のため現在地に移ったという。同地は寛文年間(一六六一―七三)に高田藩郡奉行大門与兵衛の尽力で堤防を築いて耕地を開拓し、大門島(だいもんじま)と名付けられた(以上「南魚沼郡誌」)。正保国絵図に村名がみえ、高五六〇石余、泉田新田高三〇石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by