西洋哲学(読み)せいようてつがく

精選版 日本国語大辞典 「西洋哲学」の意味・読み・例文・類語

せいよう‐てつがくセイヤウ‥【西洋哲学】

  1. 〘 名詞 〙 古代ギリシアに始まり、西洋、中世のキリスト教世界をへて、近世以降世界的に広まり、現代にいたるまで多種多彩な発展をとげてきた哲学の流れの総称。
    1. [初出の実例]「乙は西洋哲学の論ずる所高尚は高尚なりと雖も」(出典:真理金針(1886)〈井上円了〉余が疑団何れの日にか解けん)

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改訂新版 世界大百科事典 「西洋哲学」の意味・わかりやすい解説

西洋哲学 (せいようてつがく)

〈哲学〉の原語である〈フィロソフィアphilosophia〉という言葉は,古代ギリシアの古典時代につくられたものであり,それがラテン語を経て近代ヨーロッパ諸語にほぼそのままの形で受けつがれてきているのであって,他の文化圏にはそれに当たる言葉は見あたらない。したがって,厳密に言うなら〈哲学〉とは〈西洋〉と呼ばれる文化圏の,しかも特定の歴史的時代に固有の特殊な〈知〉の在り方である。〈インド哲学〉〈中国哲学〉といった呼び名は,おのれの文化のカテゴリーでもって他の文化をも裁断しうると考えるヨーロッパ人の中華思想の表れであるか,あるいはきわめて粗雑な類比にもとづく命名でしかない。してみれば〈哲学〉は,どの文化圏にも見られる一般的な世界観・人生観・道徳思想・宗教思想などとはやはり区別されねばならないものであろう。むろん西洋にもそうした世界観・人生観はあり,それが哲学のうちに混入したり,哲学知の実質的内容をなすことはあったにしても,それと哲学とのあいだには一線が画されるべきなのである。そして,近代ヨーロッパの科学知や科学技術がこの哲学から派生したものだとすれば,〈哲学〉と呼ばれるこの特殊な知は西洋の文化形成,少なくとも近代ヨーロッパの文化形成と本質的に結びつくもの,あるいはむしろその形成原理を提供するものであったと考えてよいことになろう。現代の巨大化した技術文明を生み出した近代ヨーロッパの文化形成を総体として批判しようとする現代ヨーロッパの哲学者たちが,しばしばおのれの思想的営為を逆説的に〈反哲学(アンチ・フィロゾフィ)〉〈非哲学(ノン・フィロゾフィ)〉などと呼ぶのも,彼らが〈哲学〉を近代文化形成の原理と考えているからにちがいない。ここでは,西洋のこの哲学知の基本的概念装置を検討し,この知の本質的性格と,それを原理に形成された西洋文化の特質を洗い出してみたい。

ギリシアの古典時代にソクラテスやプラトン,アリストテレスらの思想のなかで生まれ形をととのえたこの〈哲学〉と呼ばれる知は,当時のギリシア人の一般的なものの考え方に対していかなる関係にあったのか。それを昇華し純化するものであったのか,それともそれとはまったく異質のものであったのか。まずこれを確かめるために,両者の自然観を見てみよう。

 ソクラテス以前,つまりニーチェのいわゆる〈ギリシア悲劇時代〉の思想家のほとんどが《自然(フュシス)について》という同じ表題で本を書いたという伝承があるが,そこからも推測されるように,古い時代のギリシア人にとってもっとも基本的な思索の主題は〈自然(フュシスphysis)〉であった。タレスにはじまりアナクサゴラスやデモクリトスにいたる,主としてイオニア文化圏で活躍した〈ソクラテス以前の思想家たち〉を,アリストテレスが〈フュシオロゴイphysiologoi〉ないし〈フュシコイphysikoi〉,つまり〈フュシスを論ずる人たち〉と呼んだのも,そのゆえである。しかし,彼らの思索の主題となっていた〈フュシス〉はいわゆる外的自然ではない。ギリシアも古典時代になると,フュシスは〈フュシス-ノモス(人為的な定めごと)〉〈フュシス-テクネ(技術)〉といった対概念の一方の項として,人為的な制度や技術による制作物と対置される存在者の特定領域,いわゆる物質的自然を意味するようになる。

 しかしもっと古い時代には〈フュシス〉は〈タ・パンタta panta(万物)〉という言葉とほとんど同義に使われ,神々や人間やポリス(都市国家)や人為的なもののいっさいを包摂する〈存在者の全体〉を意味すると同時に,そうしたすべての存在者の〈真の在り方〉をも意味していた(物ごとの真の在り方というフュシスのこの古義は,たとえば英語のnatureにも,物ごとの〈本性〉という意味で残響している)。ソクラテス以前の思想家たちは,“フュシスについて”思索しつつ,ありとしあらゆるものをあらしめているその〈真の在り方〉,すべての存在者を存在者たらしめている〈存在〉とは何かを問おうとしていたのである。しかも,古典時代になってからもこの〈フュシス〉という言葉が,〈生える〉〈生長する〉〈なる〉という意味の動詞〈フュエスタイphyesthai〉に由来すると信じられていたということからもうかがえるように,一般に古代のギリシア人は,フュシスつまりすべての存在者はそれぞれがおのれのうちに生成消滅の原理(生命のようなもの)をそなえ,それにしたがって生成してき消滅してゆくものだと考えていた。してみれば,“フュシスについて”問うとき,彼らはこの生成消滅の在り方を問いもとめていたということになろう。その思索の根底にあるのはいわば洗練されたアニミズムであるが,こうした考え方は,すべてのものが〈葦牙(あしかび)のように萌(も)え騰(あが)る〉と考えていた古代日本人の自然観などを思い合わせれば,けっして特異なものではない。

 だが,やがて古典時代になるとこうした〈フュシス〉の概念が変質し,フュシスは先ほど挙げたような対概念の一方の項としてとらえられることになる。つまり,フュシスはもはや存在者の全体をではなく,その特定領域を意味するようになるのである。もっとも,〈フュシス-ノモス〉の関係を最初に問題にしたソフィストたちのもとでは,この両者はけっして対等の資格で対置されていたわけではない。なんといっても真に存在しているのはフュシスなのであり,ノモス的なものも本来はそこに位置すべきものなのである。だが,彼らのもとでは人間や,したがってノモス的なものにはそうした真の存在から逸脱し仮象に堕してしまう可能性が認められ,ついにはそれは原理的に仮象の領域とみなされるようになる。しかし,たとえそうなっても〈フュシスとノモス〉の対立は真実在と仮象の対立であり,対等の対立関係にあるわけではない。ソフィストたちは,フュシスこそが真実在だという古い前提はそのまま受けいれながらも,いわばその真実在の方は棚あげにして,もっぱら仮象の領域であるノモスのうちに立てこもり,そこで真偽善悪いっさいの価値を相対化してみせようとしたのである。すべてが仮象にすぎないとすれば,そこで物ごとの真偽善悪を論じてみても,すべて相対的なものでしかあるまい。プロタゴラスの言うように,せいぜいのところ人間にとっての有効性が〈万物の尺度〉,物ごとの真偽善悪の尺度にされることになる。彼らの有名な詭弁術もこうした存在論からの必然的な帰結だったのである。その意味では,ソフィストたちは〈ソクラテス以前の思想家たち〉の頽落した末裔であったと言えよう。

 一方,同じ時期に,一見ソフィストたちと同じような問題設定をしながらも,〈フュシス-ノモス〉というこの対立項のノモスに積極的な存在性格を認め,そうすることによってギリシア的思惟の根本前提を破棄しようと企てたのがプラトンである。その意味では,ニーチェが〈プラトンとともに,なにかまったく新しいことが始まる〉と言うのは正しい。そのためにプラトンは〈イデア〉という超自然的原理をその思考空間に導き入れる。このイデアは生成消滅するフュシスを超越して,永遠に同一でありつづける超自然的超時間的存在者である。そして,プラトンの考えでは,すべての存在者は〈形相(エイドスeidos)〉と〈質料=素材(ヒュレhylē)〉の結合体なのであるが,その存在者の〈何であるか〉を規定するのは,イデアを分有し,いわばその模像である形相である。したがって,存在者の〈何であるか(本質)〉はそれ自体では変化をまぬがれており,生成消滅するのはその質料的部分だということになる。つまりここでは,フュシスは超自然的原理によって形態や内的構造を与えられる,それ自体ではまったく無構造的(アリュトモスarhythmos)な素材,それ自身のうちにはいかなる形成力ももたない無機的素材とみなされ,その生成消滅も単なる偶然的な変化としか考えられていない。こうした素材はそれだけでは非存在(メ・オンmē on)であり,一定の形相と結びついてはじめて存在者(オンon)たりうるのである。

 しかし,考えてみれば,このように相互に内的連関をもたない形相と質料との結合ということでその存在構造の解き明かされうる存在者は限られていよう。たしかに机とかベッドのような制作物に関してなら,制作者の心のうちにあるこれから作ろうとするものの姿,つまりまだいかなる素材によっても具象化されていない形相と,まだいかなる形も内的構造ももたずに仕事場に投げ出されてある材木や石塊つまり質料との結合によってその存在構造をとらえることができる。しかし,山にそびえている樫の木や牧場に遊ぶ羊のようないわゆる自然的存在者の場合には,想像のなかでさえそうした形相と質料を区別することはできない。してみれば,プラトンのイデア論は,まず制作物の存在構造をモデルにして基本的カテゴリーを確立し,それを多少無理にでも自然的存在者に押しつけようとする存在論だと考えてよさそうである。事実,プラトンはイデア論を説く際,まず机とかベッドとかいった制作物を例にして話をはじめている。こうしてみると,古代ギリシア人の基本的な存在理解が,植物のような自然的存在者の存在構造をモデルにしたものであったのに対して,プラトンは制作物をモデルにしたまったく異質の存在論を提唱したことになる。この存在論は同時代のギリシア人から見ても,〈異国的(エクトポテロスektopōtelos)〉な感じのするものであったらしい。そしてこの存在論のもとで,かつては生成力を内蔵した存在者の全体を意味していたフュシスが,無機的な素材という存在者の特定領域におとしめられてしまったのである。

 〈メタフュシカmetaphysica〉(ギリシア語ではタ・メタ・タ・フュシカta meta ta physika)という言葉は,もともとは前1世紀ごろに,遺稿として残されていたアリストテレスの講義ノートが整理編集された際,〈第一哲学〉に関するノート群に,その配列の位置から,すなわち《自然学(フュシカ)》の〈あと(メタ)〉に配置されたことから付された名称である。それが古代末期にキリスト教の教義体系が組織されるときに下敷に使われた際,〈自然(フュシス)を超えた(メタ)ことがら,超自然的=形而上的なことがらを扱う学問〉という意味に読み替えられるようになったのである。もしニーチェのようにこの〈メタフュシカ=形而上学〉を〈超自然的=形而上的原理を設定し,それを拠りどころに現実の世界(自然)を理解しようとする特定の思考様式〉と解するなら,そうした形而上学的思考様式はプラトンにはじまると考えてよいであろう。後世《形而上学》と呼ばれるようになったアリストテレスの〈第一哲学〉に関する講義録は,プラトンのイデア論の批判的継承をはかったものであるから,この名称をプラトンの思考様式にまでさかのぼらせても,それほど時代錯誤を犯すことにはなるまい。

 ところで,この形而上学的思考様式のもとでは自然はそれ自体においては非存在であり,超自然的原理によって形を与えられてはじめて存在者となると考えられるのであるから,これは明らかに超自然的なものを目ざして自然から離脱せんとする考え方であり,その意味では,反自然的で不自然な思考様式だといってよい。こうした反自然的な思考様式である形而上学が,プラトン以降西洋哲学の基本的伝統となったのである。なるほど超自然的原理の呼び名はそのつど〈イデア〉〈純粋形相〉〈神〉〈理性〉〈精神〉とさまざまに呼び替えられるが,そうした超自然的原理を拠りどころに自然を理解しようとする思考様式そのものは,近代にいたるまで一貫して受けつがれるのである。そしてそこでは,自然も一貫していかなる形成力ももたない惰性的な質料(ヒュレ→マテリア)つまり物質としてとらえられる。〈西洋哲学は本質的に形而上学である〉と言われるが,それは西洋哲学がこうした自然観をともなった反自然的思考様式だという意味なのである。

 むろんプラトン主義的な形而上学的思考様式が一般に普及し,いわば西洋文化の形成原理となるには,千年二千年という単位の時間を必要とした。それはまず,プラトンの約1000年後の古代末期にローマ・カトリックの教義体系が整備されるとき,その下敷に使われ,キリスト教の信仰と結びつき,プラトン=アウグスティヌス主義として普及した。次いでさらに1000年後のルネサンスと宗教改革の時代に,一方ではギリシアの古典文化復興の流れのなかで,他方ではキリスト教界内部でのプラトン=アウグスティヌス主義復興の動きのなかで再び更新され,西洋の基本的思考様式を規定し近代ヨーロッパ文化形成の青写真となる。たとえば近代哲学の創建者と見られるデカルトにしても,まさしくプラトン=アウグスティヌス主義復興の運動(オラトリオ会)との結びつきのなかでその思想を形成し,超自然的な〈理性〉を原理とする形而上学的思考様式を確立したのである。
形而上学 →自然

ギリシア語のエイドスeidosは〈見る〉という意味の動詞エイデナイeidenaiに由来し,イデアideaと同根,〈見られるもの〉〈形〉を意味し,ラテン語ではformaと訳された。ヒュレhylēはもともとは〈森〉を意味し,そこから〈材木〉〈材料〉〈素材〉〈質料〉という意味が生じた。ラテン語ではmateriaと訳された(materiaに由来する英語のmatter,materialが〈物質〉〈物質的〉と訳されるのは,〈単なる質料でしかない無機的な物〉という意味においてである)。このエイドス=形相とヒュレ=質料という対概念がプラトン哲学のもっとも基本的なカテゴリーであったということについてはアリストテレスの証言がある(《形而上学》第1巻第6章)。そして,これらの概念が制作物の存在構造をモデルにしてはじめて生じえたものであり,自然的事物には適用しにくいものであることは,すでに述べたとおりである。この対概念がその後〈形式formaと質料materia〉〈形式Formと内容Inhalt〉と呼び替えられて,形而上学的思考様式の基本的カテゴリーとして働いたことは,カントが《純粋理性批判》の〈反省概念の多義性〉の章で指摘しているとおりである。中世の普遍論争において特に論議の対象となった〈普遍-個物〉ないし〈一般-特殊〉という対概念も以上のような経緯と深くからみ合いながら形成されたものと考えてよい。

このように形而上学的思考様式のもとで個々の事物が形相と質料の結合体としてとらえられることによって,もともと単純であるはずの〈存在〉概念,〈ある〉という概念が二義的に分裂することになる。つまり,〈ある〉ということが,形相によって規定される〈何であるか〉という意味での〈である(ト・ティ・エスティンto ti estin)〉と,質料によって規定される〈現実にあるかどうか〉という意味での〈がある(ト・ホティ・エスティンto hoti estin)〉との二義に分裂し,このト・ティ・エスティンがラテン語ではクイディタスquidditasあるいはエッセンティアessentia(本質存在,〈……である〉)と訳され,ト・ホティ・エスティンがエクシステンティアexistentia(事実存在,〈……がある〉)と訳された(われわれの語感からすると〈本質存在〉という訳語は不自然に聞こえようが,エッセンティアが〈ある・存在する〉という意味の動詞esseに由来する以上,やはり〈本質存在〉と訳さねばならないのである)。ところで,こうして二義的に分裂した存在概念にあって,超自然的原理に直接結びつく形相によって規定される〈本質存在〉がつねに優位を占めるということも,形而上学的思考様式の大きな特質である。〈ある〉〈存在する〉ということについてのこうした特異な考え方は,たとえば英語のbe動詞にあって,〈……がある〉という意味の完全自動詞としての用法よりも〈……である〉という意味の不完全自動詞としての用法の方が優越しているという事実にも現れている(ドイツ語やフランス語では,〈……がある〉と言うとき,英語のbeに当たるseinやêtreは原則的には使われないくらいである)。おそらくわれわれ日本人にとっては,〈ある〉〈存在する〉ということは,もっと単純な事態であり,われわれは〈存在〉という言葉を聞くとき,〈である〉をも含意した〈がある〉を思い浮かべるのが普通であろう(たとえば現代ドイツの哲学者ハイデッガーなどが,wesenという動詞で言い当てようとしているのもこうした意味での〈ある〉である)。すべての存在者を〈フュシス〉と見ていた古い時代のギリシア人にとっても事情は同様であり,そこでは〈ある〉〈存在する〉ということはもっと単純な事態であったにちがいない。自然的事物に関しては,形相と質料の区別と同様にその〈である=本質存在〉と〈がある=事実存在〉とを区別して考えることは困難だからである。

 現代の哲学者,たとえばサルトルが〈事実存在〉に対して〈本質存在〉を優先させてきた西洋哲学の伝統に逆らい--話を人間の存在に限ってのことではあるが--〈本質存在〉に〈事実存在〉つまり〈実存〉を優先させ,そうすることによって人間の根源的自由を主張する実存主義を提唱したことはすでに知られていよう(《実存主義とは何か》)。

 同じような企てはすでに19世紀初頭のシェリングの後期思想にも見られる。シェリングもまたおのれのこの企てを〈実存哲学Existenzialphilosophie〉と呼んでいたが,こうした企ての背後には,西洋哲学の根幹をなす形而上学的思考様式を克服せんとする意図がひそんでいたのである。だが一方,サルトルのそうした企てに対して,ハイデッガーは,そのように〈本質存在〉と〈事実存在〉の関係を逆転させても仕方がないのであり,必要なのはむしろ存在に原初の単純性を回復してやることだという批判をくわえている(《ヒューマニズム書簡》)。この方が事態の本質をいっそう深く洞察していると言えよう。

もっとも,プラトンによって導入された形而上学的思考様式は,まったく無抵抗に受けいれられたわけではない。こうした伝統に逆らって,〈自然〉を生きたものとして見ようとする思想は西洋哲学の底層部につねに伏在しており,折あるごとに顔をのぞかせる。自然主義naturalismとか唯物論materialismという形をとる哲学思想のうちには,その提唱者も意識しないままに,単なる素材(マテリア)におとしめられた自然を復権しようとする思想動機のひそんでいることが少なくない。形而上学的思考様式に対するそうした抵抗は,まずプラトンの弟子のアリストテレスのもとで現れる。アテナイのプラトンのもとで学んだとはいうものの,もともとイオニア文化圏に属するスタゲイロスで育ったアリストテレスにとっては,自然的存在者を軽視し,制作物の存在構造だけをモデルにして組織されたプラトンの存在論は,とうていそのまま受けいれうるものではなかった。彼の思想的営為は,イオニア風のいわば〈フュシス的存在理解〉と,プラトンのいわば〈ポイエシス(制作)的存在論〉とをいかに調停するかに向けられた。そのためには,一方は超自然的原理に由来し,他方は自然に由来し,相互にまったく内的連関をもたない形相と質料との結合によって存在者の存在構造を解き明かそうとする説明方式が修正されねばならない。そこでアリストテレスは,質料をまったく無機的,無構造的なものとしてではなく,ある形相を実現する可能性をもつものと考える。たとえば同じ材木にも,柱となるのに向いたもの,机板となるのに向いたものと,それぞれに違った素質があるように,すべての質料は一定の形相を実現する可能性をもち,いわば可能態(デュナミスdynamis)にあると見るのである。そして,その可能性の実現された状態が現実態(エネルゲイアenergeia)である。こう考えれば,たとえば樫の木の種子は樫の巨木の可能態であり,成長した巨木はその現実態と考えられるであろうし,同様に仕事場にある材木は机の可能態であり,完成した机はその現実態と考えられ,自然的存在者も制作物も共通のカテゴリーによって統一的にその存在構造をとらえることができる。両者の違いは,自然的存在者にあっては可能態から現実態へ向かうその運動の原理が〈自然(フュシス)〉としてその運動体(樫の木)そのものに内蔵されているのに対して,制作物にあってはそれが職人の〈技術(テクネ)〉として運動体(机)の外にあるという点だけである。しかも,この〈可能態-現実態〉の関係は相対的・可動的であり,たとえば〈森の中の樹→仕事場の材木→机→読書〉といった系列のなかで,それぞれ前者が後者の可能態,後者が前者の現実態であり,可能態から現実態への移行は〈運動(キネシスkinēsis)〉と考えられるのである。したがってプラトンのイデア論にあっては無意味な変化しか認められなかったこの現実の世界が,アリストテレスのもとでは不断の合目的的な運動のうちにあると見られることになる。

 このように,プラトンが〈形相-質料〉という静態的カテゴリーでとらえていた世界を〈可能態-現実態〉という動的カテゴリーでとらえなおすことによって,アリストテレスはプラトンのイデア論を修正し,それをギリシアの伝統的なフュシス的存在理解と調停しようとしたのである。しかし彼もすべての存在者の合目的的運動の終局(テロスtelos)にあってその運動を導く最高目的として,もはやおのれのうちにいかなる可能性をも残さず,すべての可能性が現実化された〈完全現実態(エンテレケイアentelecheia=テロスに達した状態)〉である〈純粋形相〉つまり超自然的な〈神〉を想定し,それによって世界の存在を基礎づけようとする以上,最終的にはやはりプラトンの形而上学的思考様式を継承していると見られよう。ところで現実態を意味する〈エネルゲイア=エルゴンergon(作品・成果・能力の発現)に達した状態〉は中世のスコラ哲学のもとでactualitasとラテン訳され,さらにこれが近代のドイツ哲学ではWirklichkeitと訳されることになる。いずれの場合にも,現実的存在者は何ものか(たとえば神)のactus,Wirken(働き・活動)によってその状態にもたらされたものと考えられ,なんらかの超自然的原理の介入が想定されることになるわけである。これももともとアリストテレスの〈エネルゲイア〉の概念の根底に形而上学的思考様式が存していたことからの必然的帰結と見られる。

西洋哲学の基本的概念群の一つに〈実体-属性〉という対概念があるが,これもまたアリストテレス哲学に源を発する。もっとも,通常〈実体〉と訳されているアリストテレスの用語〈ウシアousia〉は,それが〈ある〉〈存在する〉という意味の動詞〈エイナイeinai〉の女性分詞形〈ウサousa〉に由来し,日常語としては〈現に眼前にある不動産・資産〉を意味するということからも知られるように,広く〈存在〉を意味する言葉であり(《形而上学》第7巻第3章),これがsubstantia(下に立つもの=実体)というラテン語に訳されたのは,事物の第一の存在(ウシア)が〈ヒュポケイメノンhypokeimenōn(下に横たわるもの=基体)〉としての存在にあると考えられたからである(《形而上学》同上)。したがって,〈実体-属性〉の関係は,アリストテレスにあっては〈ヒュポケイメノン-シュンベベコスsymbebēkos(共に居合わせているもの=付帯的属性)〉の関係として考えられている。

 その際注意さるべきことは,この〈ヒュポケイメノン〉がすべての〈シュンベベコス〉の担い手である〈基体〉を意味すると同時に,すべてがそれについて述定されるがそれ自身は他の何ものの述語にもならない命題の〈主語〉をも意味していることである。ということは,ここでは事物の存在構造が〈……は……である〉という述定的命題の構造をモデルにしてとらえられているということである。もっとも,アリストテレスは,この〈ヒュポケイメノン(基体=主語)〉たりうるものは〈このこれ(トデ・ティtode ti)〉と指さしうる眼前にある個物と考えている。しかしここでも,そうした無規定的な個物の〈がある(ト・ホティ・エスティン)〉という存在が,〈である(ト・ティ・エスティン)〉という存在によって補われてはじめてまったき存在者になると考えられているわけであり,そこには二つの〈ある〉の不安定な葛藤がうかがわれる。この〈ヒュポケイメノン〉がラテン語ではsubjectum(下に投げ出されてあるもの)と訳され,〈シュンベベコス〉がaccidens(偶有性)と訳されて,〈基体-属性〉というこのとらえ方は中世のスコラ哲学や,さらには近代哲学にもそのまま受けつがれてゆくのである。

〈ヒュポケイメノン〉のラテン訳であるsubjectumという言葉は,スコラ哲学や近代初期の哲学においては,それ自体で存在し,もろもろの作用・性質・状態を担う〈基体〉という意味で使われていた。ホッブズやライプニッツは魂をsubjectumと呼んでいるが,それも感覚を担う基体という意味においてであり,そこには〈主観〉という意味合いはない。一方objectumという言葉も,字義どおりには〈向こうに投げられてあるもの〉という意味であり,中世や近代初期には,外部にある事物が心なり意識なりに投影され,いわば表象されてある状態を意味していた。たとえばデカルトがrealitas objectivaと呼ぶのは,観念として表象されてある事象内容のことであり,当時はむしろobjectumの方に〈主観的なもの〉という意味合いがあったのである。

 ところが,カントのもとでこのsubjectumとobjectumの意味が逆転する。そこには次のような事情があった。周知のように,すでにデカルトのもとで〈われ思う〉,もっと正確に言えば肉体から切り離された純粋な精神としての〈思いつつあるわれ〉が〈絶対不動の基礎〉として据えられ,それによっていっさいの存在者の存在が基礎づけられることになった。つまり,この純粋な精神としての〈われ〉によって〈明晰判明〉に認識されうるものだけが,そしてその認識されえた範囲内でのみ,真に存在するとみなされたのである。こうして,事実上この〈われ〉がいっさいの存在者の存在を支える卓越したsubjectum(基体)となり,この〈われ〉がいわば形而上学的原理の役割を果たすことになった。しかも,この〈基体〉は基体としてのその役割を〈認識〉の働きによって果たす。そこからsubjectumという言葉に認識の〈主観〉という意味が生じ,それに対応して,objectumの方に,この〈主観〉によって認識され,その認識された範囲内で存在を保証されるもの,つまり認識の〈客観〉という意味が生じる態勢がととのった。デカルトのもとで事実上成立していたこの〈主観-客観〉関係を明確に概念化してみせたのがカントなのである。この認識主観はカントによって〈超越論的主観性〉と呼ばれることになるが,それはこの主観がいっさいの存在者の存在,つまり〈世界〉の存在を基礎づける形而上学的(超自然的)原理であり,それゆえそれ自身は世界(自然)を超越しているからである。

 ところで,カントにあっては主観の定立作用は〈直観〉にもとづく認識に限られていたから〈主観-客観〉という訳語も適切であったが,カント以後のドイツ観念論の展開のなかで,その定立作用は行為的実践や労働にまで広げられることになり,もはや静観的な〈主観〉という訳語ではその働きをおおいきれなくなって,〈主体-客体〉という訳語がつくられねばならなかった。しかし,〈主観-客観〉〈主体-客体〉いずれにしても,その対項は対等の資格で対峙し合っているわけではない。客観・客体は主観・主体によって定立されてはじめてその存在を得るのであり,主観・主体は客観的世界に対して,その存在を支える形而上学的原理の役割を果たしているのである。伝統的な西洋哲学の克服をはかる現代の哲学者がまずこの〈主観-客観〉関係を批判の対象にしたのは,それが形而上学的思考様式の近代的更新であったからにほかならない。

このように伝統的な西洋哲学を支えてきた基本的概念群は例外なく,プラトンにはじまる形而上学的思考様式の枠組みのなかで形成されてきたものである。この形而上学のもとで自然を単なる無機的物質と見る自然観が可能となり,その上に立ってはじめて機械論的自然観(機械論)も成立したのである。言うまでもなく,この機械論的自然観なくしては近代の科学知や科学技術も成立しえなかったであろう。形而上学が近代ヨーロッパ文化や,さらには世界的規模にまで拡大した現代技術文明の形成原理を提供したと言ったのは,このような意味においてなのである。しかし,その技術文明が自然を徹底的に破壊し,そのために皮肉にも文明そのものの存立まで危うくなりかけていること,これまた言うまでもあるまい。

 すでに19世紀に,西洋文明のそうした先行きを見通し,その形成原理となった近代理性主義や,さらにはそれを支える形而上学的思考様式そのものの克服をはかった少数の具眼の哲学者たちがいた。後期シェリングやマルクスやニーチェがそうである。彼らは,それぞれに異なった視角からではあるが,一様に反自然的な形而上学の乗り超えをはかり,自然との自然な関係の回復を,つまりは〈生ける自然〉の復権を企てた。彼らのこの企ては,ハイデッガーやメルロー・ポンティといった20世紀の哲学者に引き継がれている。彼らの考えからすると,形而上学つまり西洋の伝統的な〈哲学知〉とは,自然との多様な関係のうち〈知的関係〉だけを優越させ,その優越性を〈知〉によって根拠づけんとする企て,つまりは〈知による知の根拠づけ〉という,それ自体無根拠な自己還帰的企てにほかならない。彼らはこうした〈哲学知〉の無根拠性をあばき,知の根本的転換を図るのであるが,この思想的営為が,前にふれたように彼ら自身によって〈反哲学〉ないし〈非哲学〉と呼ばれているのである。しかし,この反哲学は当分のあいだ相手の武器で,つまり伝統的な哲学的概念を武器にして戦わねばならないという不利な条件をかかえている。だが,この戦いの帰趨にわれわれの文明の命運がかかっているといっても過言ではない。
哲学
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